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タイ パタヤ デンダムのマッサマン・カレー お得度は、☆4

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パタヤに住んでいる日本人から、有名なマッサマン・カレーを、一度は食べた方がいいと言われた。 マッサマン・カレーとは、タイ南部発祥のココナッツミルクと、ピーナッツの甘味やコクが特徴のタイカレーである。 AC付き個室の宿から、すぐに歩いて行ける距離だったので、その日の夜、店を訪問した。 時刻は20時過ぎ、ほぼ満席に近い。 タイ人が半数、ファランと呼ばれる白人の外国人が、あと半数といった割合である。 日本語を話していた、三毛と同世代の観光客2人連れもいた。 席に着くと、滞在者お勧めのマッサマンカレー(大盛り)を早速頼んだ。 値段は、110バーツ(550円)。 ブッカオ市場の中にある庶民的なレストランと、ほとんど値段は変わらない。 出てきたのは、こちら。 上品な盛り付けで、見るからに美味そうだ。 幅広の帽子のようなお皿が、西洋風でおしゃれである。 カオソーイのスープに似たココナッツカレーに、鳥の骨つき肉や、茹でられたじゃがいも・にんじんが添えられている。 スープの見た目は、かなり濃厚でドロリとした感じ。 一口、スプーンで掬って味見をすると、予想していた以上に、甘味が強い。 タマリンドとココナッツ・砂糖の味が、強く感じられた。 それらの濃厚な甘さの後に、カレーの辛さと、ピーナッツのコクが、グッと口に広がる。 同じココナッツカレーのカオソーイよりも、もっとドロリとした濃厚なスープで、とても美味い。 カオソーイの写真は上。 鶏肉もスプーンだけで、肉が簡単に剥がせるほど、よく煮込まれている。 これはリピート確定の味で、地元のタイ人も多く、客席が常に満席なのも、納得できる。 それから1週間居たパタヤ滞在中に、4回も通った。 絶対的なお得感はないが、この店でしか食べれない味。 まだの人は、この店のマッサマン・カレーを、ぜひ食べてほしいと思う。 ¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥ 三毛イキルのコスパ☆レーティング(最大5) パタヤ デンダムのマッサマン・カレー 110バーツ(550円) ☆☆☆☆ ¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥

タイ パタヤ 下町の庶民に混じって、バックパッカーが物価高を克服する方法

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若い頃、パタヤには、よく遊びに行った。 タイを知る独身男性なら、誰もが一度は訪れる悪徳と肉欲に汚染された街、パタヤ。 本能的に自らの欲望に、忠実な男と女。 バーで日常的に繰り広げられる、生身の人間同士の、ぶつかり合い。 お金だけを求め続けるタイ農村女性や、ベトナム出稼ぎ女性の貪欲さに、驚嘆させられることが多かった。 昔も今も、旧約聖書に出てくる、悪徳過ぎて神に滅ぼされた街(ソドムとゴモラ)のような性格は、全く変わらない。 バブル期には若い女を買う日本人が目についた。 それが今は、インド人やロシア人・中国人が、主なぼったくりの対象となっている。 三毛も中高年になり、異性に対する昔のようなガツガツ感は、もうすっかり無くなってしまった。 今回は、観光地価格で物価の高いパタヤ中心部には泊まらずに、純粋にビーチリゾートとグルメだけを楽しむことにした。 一抹の寂しさを感じるが、加齢に応じた背伸びをしない旅も、良いものだ。 かつて、私がよく泊まっていたソイ・ブッカオのサワディーホテルは、既にオーナーが代わって改装し、別のホテルとなっていた。 値段も750バーツ(3750円)と、かつての2倍以上に高騰。 円安タイバーツ高を加味すれば、昔の3〜4倍以上はする。 一泊2000円以下で、エアコン付きの個室に泊まれる場所は、もう中心部にはないだろう。 2週間の滞在期間中に、最初はカーテンで仕切られたブースで仕切られたドミトリー宿に、仕方なく泊まっていたが、南京虫が出て、深夜に噛まれたので、すぐに宿を変えた。 下町の内陸部にあったビックCに近い地区を、くまなく歩いて宿を探した。 そこで、裕福なドイツ人とタイ人妻がやっている4階建てのアパートを見つけ、長期滞在することにした。 値段はなんと350バーツ(1750円)、マンションの最上階、エアコン付き個室である。 広さは1DKほどで、シャワートイレも室内にあった。 歓楽街から離れているので、夜も静かだった。 久しぶりに、安いフェリーに乗って、ラン島まで行き、海でのんびりできた。 居心地が良く、それから1週間近く、この内陸部の宿に泊まって、パタヤに滞在。 ラン島は、海の色も昔と変わらず綺麗だ。 弁当や水をビーチに持参すれば、物価の高いパタヤでも、お得に楽しめる。 安く過ごすコツは...

タイ バンコク ナムトク線の日帰り旅行(後編)

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カンチャナブリで1時間ほど停車。 それから、三毛が乗っている列車は、鉄橋をゆっくりと渡りながら出発した。 車掌に動画を撮っていいか頼むと、運転士の横で、撮ってもいいという。 列車最前列の運転席横の通路に座って、真前の窓から右側の部屋で列車を動かしている運転手と同じ目線で動画を撮った。 観光列車ということもあるが、万時ルールに厳しい日本では、考えられないサービスの良さだ。 ナムトク駅に近い旧日本軍が外国人捕虜を使役して作った、切り通しの崖スレスレの線路を、ゆっくりと列車は進む。 断崖絶壁の崖上に造られた、細い一本橋の桟橋を渡る箇所もあった。 ここで脱線したら、間違いなく乗客全員、一貫の終わりである。 ハラハラしながら動画を撮って、定刻の12時30分に、終点駅に到着した。 ナムトク駅は、熱帯雨林の密林の入り口にある駅で、来る途中に一雨降ったおかげで、外の湿度がすごい。 前にも記事で述べたことがあったが、私の祖父はインパール作戦の生き残りである。 この場所にいた可能性も、ゼロではないだろうと思った。 戦後80年以上が経って、その孫である三毛が同じ場所にいるのは、不思議な気持ちがした。 私の祖父は、最重要の通信兵だったので、仲間の日本兵に真っ先に守られたことで、なんとか生きて帰ってこられたのだ。 通信手段を失うと、大部隊が一瞬にして全滅する危険がある。 だから皆から大事にされたと祖父は言っていた。 私の祖父は幸運だった。 天寿を全うして、84歳で亡くなった。 そのお礼に、旧日本軍の史跡をおとづれて、ここで測らずも亡くなった日本兵に、お礼と祈りをしようと私は思ったのだ。 タイ人家族で賑わうナムトクの滝を少し見てから、一番の目的である旧日本軍が通った、密林のルートを歩いてみることにした。 WRONG WAYと文字通りの看板が、かかった道を歩いて、事前にグーグルマップで見つけていた獣道から密林に入る。 目指すは帝国陸軍が昔作った土台の上にある倉庫群と、レンジャー部隊の基地である。 倉庫群では、献花をして、戦争でなくなった日本兵を追悼した。 幸いタイで購入した通信会社TRUEの携帯電波は、持参したiPhoneだと、しっかりと電波が繋がった。 その林道はぬかるんでいて、靴は泥だらけになったが、これで方向...