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コルガスの博物館

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中国とカザフスタンの国境 コルガスの博物館 ウイグル地域を西に向かい、旧ロシア連邦国家であるカザフスタンへ陸路で入国するため、中国側の国境の町イーニンに着きました。 ここはコルガス地域と呼ばれ、天山山脈の麓に広がる中央アジアのオアシス都市です。 早速、博物館を訪れました。 ここは、中央アジアで発掘された銅製品の所蔵で有名です。紀元前4世紀から紀元前1世紀の銅剣が展示してありました。 下の写真は、銅刀です。ウイグルナイフの原型と言われており、上の写真の銅剣よりも、造られた年代は古い です。 紀元前4世紀から紀元前3世紀のものだと言われています。 興味深いのは、蒙古刀の展示がありました。 モンゴルから移住した遊牧民が、この地方に住んでおり彼らが使用していた品物です。 チベットにも似たような形状のナイフがあります。 火打ち石に打ち付けて、火花を起こすための平らな金具がついているのが特徴です。 中央アジアでの遊牧民文化が、国境を超えて広まっている様子がよくわかります。 とても面白く、良い展示内容でした。

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑫

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑫ 取手の蓋を開けた写真です。 時代が古く、中に何が入っていたのか、今ではよくわかりません。 これはガンメタなどで、人工的につけた錆ではありません。 内部も外と同様の錆がつき、同じ具合に変色しているからです。 この錆具合からすると、店主が昨日言ったように、100年以上前のものかもしれないと思いました。 電気のない時代に近くの城の通路や室内で、灯火を灯し続けてきたものでしょうか。 このずっしりした重さと、小さくて可愛らしい形のアンバランスが私の好みをくすぐりました。 「いくらに負けてくれるの?」というと、思いがけない返事が返ってきました。 「5ドルでいいよ。お前、お金ないんだろ。」 紅茶をおごって、粘り強く30分も待った甲斐がありました。 この大男の店主は、話をすると先代からの息子で、骨董収集には関心がないようでした。 アンティーク に対する思い入れが、そもそも欠けているのを私は 感じました。 それよりも、地域で捨てられた保護犬の活動に熱心に取り組んでいるとのことでした。 インドで捨てられる飼い犬の現状を、10分ほど熱心に教えてくれます。 彼は商売よりも、他人との縁や動物との絆を大切にする優しい性格の人でした。 彼の言い値で買い、同時に子犬のための募金箱にも、寄付をして「ありがとう。」と言って店を去りました。 いま三毛の手元にありますが、これは非常に使い勝手の良い骨董品です。 時代を経た真鍮の錆びが、独特の存在感を放ち、室内のインテリアとしても重宝しています。 特にドライフラワーとの相性がよく、殺風景な室内を 華麗に明るくしてくれる逸品です。 (終)

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑪

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑪ 手のひらにすっぽりと収まるほどのサイズですが、使われている真鍮の金属は厚く、ずっしりとした重さです。 真鍮のさび具合も、相当年季が入っています。 胴体部分には紐を通す穴がついた取手が3つあります。 上の写真はちょうど真裏の部分です。 紐を通す穴が3つあることから、机に置いて使えるようにしただけでなく、壁から吊り下げて使用されたと考えられます。 私は最初、この真鍮の小さな壺を見たときに、インク壺だと思いました。 しかし、インク壺は西洋では透明のガラス製が一般的です。 インドはかつてイギリスの植民地であり、インク壺は西洋の文化を代表するものなので、舶来施工が強いインドでも、ガラス素材はそのまま使われるはずです。 また、ガラス製インク壺の 利点は、インクの残量が一目でわかることです。 中身が見えない真鍮製の壺を、インク壺とするのは合理的ではありません。 そこで私は考えました。 これは携帯式の灯火具ではないかと思います。日本では灯明皿とも言いますね。 中に菜種油を入れ、綿できた灯芯の糸に火をつけることで、明かりをとるために使われた物だと思います。 日本でも江戸時代に、行燈として急速に普及しました。行燈は 灯明皿の周りに和紙をはってある物ですね。 底の部分です。地面や机に置いても、倒れないように3本の足がついています。

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑩

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 インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑩ 店の中に入りました。 暑い国インドでも、季節は冬。部屋の中は、まだ寒く、朝の湿気がこもっています。 部屋の中には、骨董屋の店主が父親の代から、集めてきた骨董品が所狭しと並べられていました。 古い真鍮製のネックレスや、絵画が飾られています。 この骨董店で一番、目についたのは、真鍮製の日常生活で使用する骨董でした。 無造作に置かれていますが、日本ではまず入手できないお宝が隠されています。 それが奥の棚に、無造作に置かれて埋もれています。 彫刻の置物が圧倒的に多かったのですが、中には真鍮製の古い花瓶や皿などもありました。 一点一点は小物が多く、作られた年代もまちまちです。 お目当ての骨董品は、左側の棚の、一番上にありました。 それがこれです。 何だか分かりますか?

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑨

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑨ 翌朝になりました。 インド旅行の楽しみの一つは、朝起きたてに飲むミルクティです。 通称、チャイ。各地方で微妙に味が違います。 使われる水や紅茶の葉、スパイスが微妙に異なるのです。 昔は一杯3ルピーが定番でしたが、インフレの影響でほとんどの所で5ルピーになりました。 都市部のビジネス街では、10ルピーの所もあり、びっくりした思い出があります。 ここオルチャは、さすがに田舎町なので、まだ5ルピーでした。 通りを行き交うインド人をみながら、ぼーっとしてチャイを飲んでいると、昨日出会った骨董屋の店主が私を見つけました。 かわいい子犬を連れています。 挨拶早々、チャイを奢ってくれないかと私にいってきます。 昨日私にさんざん 吹っ掛けたのに、図々しい男です。 でもチャイは20円もしない安い値段で断る理由もないので、一緒に彼とチャイを飲むことにしました。 ところが骨董屋の店主は、ほとんど僕には興味を示さず、チャイを受け取ってから、他の村人とばかり喋っています。 どれだけ、しゃべるのが好きな男なのでしょうか。 いろんなテーブルに行き、自分から喋りかけているので、一部の村人からはウザがられていました。 体格の良い大男なので、邪険にはされていないようでしたが。 チャイを飲み終わり、宿に戻ろうとした時、骨董屋の店主は僕を呼び止めました。 「昨日、お前が欲しがってたあのインク壺、安く譲ってやるよ。」 「だからもう少し、俺が飲み終わるまで待ってろよ。」 100ドルの壺がどのくらい安くなるのか、疑問でしたが他にやることもなかったので待つことにしました。 なんと30分も! 大男の店主は満足したのか、僕をみて一緒に店にこいと言いました。 5分ほどして、昨日訪問した店につきました。 ちょうど店主は、入口の扉を上げる所です。

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑧

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑧ この村では、日用品として昔から真鍮製品が多く使われてきたようです。 その影響もあって、今でもカレーを盛り付ける大皿や水差しは村の中でよく見かけます。 女性が額につける染料の粉が入った器(ビンディ入れ)も真鍮製品で、村の商店で売られていました。 私が探している金属製の生活骨董も、この村に埋もれている予感がしました。 そこで骨董屋がないか、村を歩き回って丹念に探します。 でも、さすがにここは田舎町。しかもアグラやバラナシのように、有名な観光地ではありません。 夕方、宿に戻る前に小腹が空いてスナックを食べようと、ある路地に入りました。 そこでは鉄板焼きで、小麦粉をつぶして、そこにダール豆や玉ねぎを入れて炒めたものを出しています。 香ばしいにおいに惹かれ、私も注文しました。注文がある毎に、具材を丁寧に炒めていきます。 カレー味のお好み焼きみたいな感じで、美味でした。 その屋台の隣の店が、犬の保護センターになっていて、鎖に繋がれた子犬が遊んでいました。 食べ終わったあと、子犬と遊ぼうとその店に行くと、ショーウインドーがあり古そうな道具が展示してありました。 ちょうど店じまいをしているところで、軽く店内を拝見しました。 すると古そうな真鍮製品があるではないですか。 ちょっと気になる一品があったので、店主のいかつい大男に聞いてみました。 「100ドル」と真鍮製品としては、予想外に高い値段。100年以上前に、王宮で使われていたものだからと、吹っかけてきます。 貧乏旅行者でそんなお金はないよと言って、そそくさと退散しました。 それでも、欲しかった真鍮製品を頭に焼き付けながら、宿に戻りました。

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑦

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑦ ゴールドやシルバーといった高価な素材が購入できない庶民は、それに変わる金属を日常生活に取り入れました。 それが真鍮(ブラス)です。日本の5円玉が真鍮製ですね。インドでは古くから真鍮製品が、生活の中に取り入れられてきました。 オルチャの真鍮の生活用品を扱う雑貨屋 真鍮は銅と亜鉛の合金でできていて、黄銅とも呼ばれます。 特に亜鉛が20%以上のものを指します。亜鉛の割合が多くなるに連れて、色が薄くなり赤みを帯びてきます。 日本の5円玉が黄銅製ですね。真鍮の特徴は延性に優れているという事、つまり熱により様々な形に加工しやすい金属と言えます。 インドではカレーを盛る皿、水差しや調味料入れ、ヒンズー教の祭壇に飾る神様も真鍮で作ります。庶民の生活に欠かせない金属です。 (次回へ続く)

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑥

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑥ 昔の庶民のおしゃれ。その答えは、今の民芸品売り場にありました。 城のお姫様は職人が仕立てた黄金や銀の装飾部、高価なシルクの衣装で身を飾りました。一方の庶民階級は、そんな高価な素材は絶対に手に入りません。 当時の村娘は素材が安価な綿や木綿でも、それを自分で鮮やかな色に染める事で、見栄えのする衣装を作ったのです。 手間暇をかけて自分の好きな刺繍や、色鮮やかなパッチワークをして、華麗な一点物を作ることで、見事に王族の豪華さに対抗したと言えます。 お金がなく見栄えしない材料しか買えないというハンデを、刺繍やパッチワークの手間暇でカバーしました。自分だけのブランドを作る事で、一点物の美を追求したのです。 その伝統技が今日まで、この地域には代々引き継がれていました。 オルチャの土産物店にあった刺繍のバック オルチャの土産物店にある玄関に、このバックは飾られていました。 花模様の刺繍に子安貝のブローチをアクセントとして添えています。見事な工芸作品です。 (次回へ続く)

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑤

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅⑤ 城の中庭から屋上へ上がる階段を登ります。 螺旋階段の壁は吹き抜けになっており、柔らかい砂岩を手彫りで削った透かし細工が施されています。 その模様も様々で、非常に美しい光景です。500年以上前のインド職人の技術の高さを表しています。 屋上へ着きました。 先ほどまで居た、城の中庭が見えます。5階建ての作りとなっています。 王の部屋にある壁画です。当時の王宮の暮らしを描いています。 黄色と朱色、黒の3色を基調とした壁画です。当時の煌びやかな生活が、想像できます。 壁画にもある様に、インドの王族は金や銀製品、赤や黄色の見栄えのする絹製品を好んで使っていました。来ている服装も派手で豪華です。 一方の彼らに搾取される側の庶民は、どの様なおしゃれをしていたのでしょうか?三毛はバックパッカーなので、彼らと同じ庶民階級です。ちょっと気になりました。 (次回へ続く)

インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅④

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インド 古都オルチャ 生活骨董を探す旅④ 無事に旅の資金を確保した三毛イキル。これから3ヶ月ほどかけて、反時計回りにインドを1周することにします。 大晦日を仏教の聖地ブッダガヤで過ごし、日本寺で除夜の鐘をつき、年越しそばを食べました。 年が明けてから、定番の旅行ルートであるバラナシ・アグラに行きました。ここは4度目の訪問でが何度行っても良いところです。 そして、インドの中心部にある都市 Jhansi(ジャーンシー)の南にあるOrchha (オルチャ)へ着きました。ラージプート族の古い都市です。 ここは16世紀から18世紀末まで、ヒンズー教が厚く信仰されたラージプート王国があった街です。 世界遺産級の名所ではないため、田舎街の雰囲気がします。外国人観光客も少なく、のんびりできそうです。 実は意外とこういう所に、周辺の村から集まった生活骨董のお宝が眠っています。 今回、私が探すのは銅や真鍮でできたイギリス植民地時代に庶民が使っていた骨董です。私は金属製の骨董が好きなのです。 まずは宿に荷物を下ろしてから、観光名所のジャハーンギール・マハルに行きました。 砂岩でできたインド特有の城塞です。城の前は、小さな小川が流れています。河の奥にある高台に築城したことで、周りが自然にできた水堀で守られています。 そこには茶色い石橋が架けられていて、オレンジ色の修行僧が通りの人に喜捨を求めていました。 入場料を払い、城の中庭に来ました。中々見応えのある城です。 (次回へ続く)

インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅③

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インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅③ 列に並んでからしばらく経って、私は閃きました。この行列から逃れるための打開策です。 外国人観光客専用の窓口が、インド国鉄の切符販売所に設けられていたことを思い出しました。 政府機関であるインド国鉄は、外国人観光客への不便さを解消するために、切符購入の際に専用の窓口を設けているのです。 イギリス植民地時代の名残なのでしょうか? もしかすると、外国人向けの両替レーンが特別にあるかもしれないと考えました。そこでインド人の長い列の脇を歩いて、先頭に向かいました。 どうかありますように・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・? ・・・・・・・・・・・・・! 残念、読みは外れました。入場の列は、1列のみでした。 昨晩から徹夜で並んでいたと思われるインド人は、他の部外者が横入りしないように体を密着させています。 全員、疲れた顔の表情で、次に入場する順番を門番の警備員の横で、じっと待っています。 やっぱりダメかと諦めて、最後尾の列に並び直そうとした時に、入り口にいた警備員と目が合いました。 彼はインド人らしくない顔つきをしていて、ミャンマーに近い東インドのマニプールかナガランド出身の人に見えます。 私は彼に、ナマステーと挨拶しました。ここからは英語での会話です。 警備員「あなたは外国人観光客ですか?銀行に御用ですか?」 私「はい、日本から紙幣交換のために来ました。これから、行列に並ぶところですが、何時間待ちですか?」 警備員「6、7時間ぐらいかな。」 「ほんとですか?参ったなー」と私。 警備員「でも君はゲストだから、列に並ばなくてもいいよ。いますぐに入れてあげるよ」 「ゲストって何ですか?」と問いかける私に、彼はこう言いました。 警備員「この国のインド人は外国人観光客に対しておもてなしの心、ホスピタリティを持っている。」 「この金融混乱の責任は、外国人にはない。だから、無理して列に並ばなくても、誰も文句を言ったりはしないさ。」 バックパッカーで貧相な格好をしていても、日本人は賓客として迎え入れてくれていると分かり、私は感動しました。 否、日本人でなくても、外国人なら皆、列に並ばなくても大丈夫なのでしょう。 側にいて我々の会話をずっと聞いていた列のインド人も、同意して頷いています。 「本当にありがとうござ...

インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅②

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インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅② ここまで金融混乱が深刻だとは、思っていませんでした。 モディ首相の発表があまりに突然だったため、一部のインド国民が過度に反応してしまったようです。 とにかく新紙幣を銀行窓口やATMから可能な限り確保しようと、皆がパニックになっているのです。 それを見た他のインド人も負けじと現金を手にしようと、もみ合いになり悪い連鎖反応が起きています。 これは彼らを責めることはできません。日本も1973年にオイルショックで、トイレットペーパーがなくなると言って、めちゃくちゃなパニックになりました。 私は渡航前に、コルカタにあるチャンドラボーズ国際空港の銀行出張所で高額紙幣交換ができるとの情報を入手していました。 しかし、この穴場にも殺到する人が多く、既に2016年11月末で交換が終了していました。 街中の銀行店舗内で稼働中のATMも、パニックになったインド人が殺到して大行列です。一日並んでも現金を手にできるか分かりません。 街中にある他のATMは新紙幣が品切れになっているところがほとんどです。 電源は付いていますが、表示画面は全てサービス停止となっていて、クレジットカードのキャッシングも全く利用できません。 万事休すです。一文無しの怖さを体感しました! こういう時は地元で信用できそうなインド人に相談するのが、いちばんです。 そこで、宿に帰った後に、フロントにいたオーナーの息子にどこで新紙幣を両替できるのか聞きました。 最終手段としては、日本銀行に相当するインド連邦準備銀行の、コルカタ支店に行くしかないとの事です。 やれやれ、これで高額紙幣交換の手段は確定しました。まずは昨日の深夜、空港のベンチで雑魚寝し消耗した体力を回復させる必要があります。 近くの露天で、私の大好きなチャイを立て続けに2杯飲んで、目を覚まします。そして朝食に、揚げパンと豆カレーを食べ、腹ごなしをしました。 私はA型肝炎のワクチンを打ってるので、屋台での食事に全く抵抗感はありません。お腹いっぱいになりました。 その後、街中にあるインド連邦準備銀行コルカタ支店に向かいました。銀行の窓口が開く、午前9時ですが、既にものすごい行列です。 巨大な敷地面積を誇る政府銀行を、ぐるりと1周するぐらいの大行列です。入り口がどこにあるのか、最後尾からは全くわからないほどです。 午前...

インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅①

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インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅① 早速、パスポートを持ってインドビザの申請に行きました。 2016年、東京都内のパスポートセンターはインド大使館とは別の場所にあり、住宅街の一角で非常に分かりにくい場所にありました。 当初、私の持参した写真のサイズが、規定に合わなかったのですが、パスポートセンターには自動撮影機もあり、そこでサイズ通りの写真を入手することが出来ました。 (注意)このインドビザ申請センターは、2017年3月21日で廃止されました。新型コロナの影響で海外旅行に必要なビザ状況は流動的な為、大使館からの最新情報をご確認ください。 2週間後、再度パスポートセンターを訪問して、無事にインドビザを入手できました。5回目のインド渡航では、エアアジアのバンコク発コルカタ着の路線を利用しました。 深夜便で時間帯が不便ということもあり、料金は片道6000円程と激安です。 2016年12月の冬、無事にコルカタに到着。空港で一泊して早朝、街に出ました。 市バスに乗って、空港最寄駅の地下鉄ダムダム駅で降り、バックパッカー向け安宿街が多いサダルストリートに向かいます。 地下鉄の改札口を出て、サダルストリートに着きました。まだ朝早いので、通りは閑散としています。 若い頃は、伝説的安宿のホテルパラゴンなどに泊まっていましたが、今はエアコン付き個室の安宿に泊まっています。それでも一泊2000円ほどなので、格安です。 今回の旅の目的は2つあります。 ①手持ちの高額紙幣を12月末迄の期限内に全て新紙幣と交換すること。 ②インド人の生活に根ざした生活骨董、特にベースメタルと呼ばれる真鍮や銅の素材を使った骨董品を入手すること。 日本人である三毛は、当然ながらインドの銀行口座は持っていません。 手持ちの高額紙幣は既に紙切れ同然です。モディ首相の演説から、4時間後に高額紙幣は使用禁止となったため、街中の商店ではとうぜん誰も受け取ってくれません。 なけなしの小銭が尽きる前に、高額紙幣を新紙幣に変えることができなければ、かなりヤバイ事になります。 街中のATMはほとんど使用不可で、クレジットカードのキャシング利用もできません。肝心の新紙幣が街中に出回っていないのです。 銀行口座を持っていない貧困層のインド人や、三毛のような外国人旅行客はどうしたらいいのでしょうか? (次回へ続く)

インド 高額紙幣即日廃止で驚愕 渡航のきっかけ

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インド 高額紙幣即日廃止で驚愕 渡航のきっかけ <インドという国の印象> 三毛イキルが、外国で最も好きな国の一つです。 紅茶やカレーが大好き、美人が多い、民芸品や観光名所が豊富、英語が通じるのでコミュニケーションが容易、物価がタイよりも安いなど、全体的な国の魅力度が高いのです。 また日本で一度観光ビザを取れば、最大6ヶ月間もインド国内を自由に旅行できるのが最高です。 マルチプルビザをとれば、陸路で隣国ネパールやバングラデシュにも簡単に出入国できます。 東南アジアは、ノービザで旅行できる国が多いのですが、中国やベトナムでも最大15日間と滞在できる期間がとても短いのです。 現地で延長ビザを取っても、中国では最長1ヶ月までと、あっという間です。 また最近、中国ではウイグルやチベット地域など、外国人観光客とわかると警察や公安から露骨にパスポートチェックを強要され、警察署に強制連行させられる事例が多くなっています。 何時間も警察署で身元照会と、それまでに撮った写真のチェックを受け、反中のスパイでないか尋問されるのです。私もこれには、何度も嫌な思いをさせられました。 正直いって、悪徳警官の賄賂要求か嫌がらせ、職務上の点数稼ぎとしか言いようがありません。 少しでも反抗すれば即逮捕・拘留ですので、私の様な弱い立場の旅行客は笑って耐えるしかありません。 一方のインドでは警察官によるパスポートチェックなど、街中で私が受けたことは今まで一度もありません。 私が初めてインド旅行に行く前は、インド人と日本人は顔つきが全く違うので、乞食やたかりなど多くあり、とても旅行しづらい場所ではないかと思っていました。 でも、その予想は見事に外れました。 インド国内では最北部のラダックや最東部のマニプール、ナガランドでは日本人によく似たモンゴロイド系インド人が多いのです。 彼らの多くがデリーやコルカタといった大都市に移住しています。街中でも普通に会うため、日本人を見てもあまり違和感がない様です。 (インド第2の都市 コルカタの街並み) そう言う訳で、日本人の私が街中を歩いても手ぶらで地味な格好をして、観光客らしき行動を取らなければ、目立ちません。 地元のインド人から外国人に間違えられることも少ないのです。 東部第2の都市コルカタでは、私は逆に道を尋ねられたり、マニプールのどこに住んでいるのか?と現地のイン...