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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑩

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 ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑩ この桶の持ち主は、彼女の祖母でした。いつ頃からあるものか、孫でツアーガイドをしている女の子に通訳してもらい、祖母に質問しました。 すると、祖母は糸繰車の手を休めることなく、30年〜40年ほど前に、親戚の漆器職人から貰ったものだと言いました。 この桶は、骨董品の定義である100年以上前のものではありませんでしたが、紛れもなく由来のわかる一点物です。 実用性を兼ね備えたヴィンテージ品としての価値が十分にあります。日本人である私の感性に合った逸品であると判断しました。 しばらく織物や農作物に関する雑談をして、家族と仲良くなると、祖母が私のことを聞いてきました。 日本から来たこと、骨董収集が趣味なこと、漆器作りが盛んなバガンで一日中良い骨董品探したが見つけることができなかったこと。 そしていくつかの偶然が重なって「たった今」、その逸品に出会えたこと、を祖母に伝えました。 彼女は黙っていましたが、微笑んでいました。普段使いの漆器を日本人から褒めてもらったことがとても嬉しいようです。 そこまで欲しいのならと、私にこの漆器を売ってくれました。 彼女との出会いに感謝して、この漆器を譲ってもらえたお礼に、十分な対価を米ドルで支払いました。 この漆器は、私の実家の台所にあります。家庭菜園のキュウリやトマトなど農作業の収穫物を入れる器として、とても重宝しています。 思いがけない偶然と地元人との交流が骨董というモノに魂を吹き込む、それが思い出となって骨董を更にいとおしむ。名のある伝来品でなくても、思い出の詰まった逸品をいつも手元に置いて、当時のことを思い出しながら大切に使う。骨董探しの旅の醍醐味だと思います。 (終)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑨

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑨ 彼女の家に招待され、家の中へと入りました。 周りの農家と同じように通気性に富んだ、平屋建ての木造家屋です。 作りは母屋と台所の2部屋です。彼女は、レンガ作りの竃(かまど)にある薪に火をつけて、鉄瓶でお茶を出すためのお湯を沸かしています。 母屋では彼女の母親と祖母が、収穫した綿花から糸を作る糸繰りの作業をしています。作った糸は、自然の染料で染めるのだそうです。 使用されている糸繰車は、日本の江戸時代から使われてきた物と同じ形をしています。左手で糸車を回しながら、右手に持った綿花から糸を一本の線にして、木枠に巻き取る構造です。 戦前の日本で見られた懐かしい光景だなと思いながら見ていたところ、部屋の奥に年季の入った漆器が置かれていることに気づきました。 ちょうど私の目に止まった瞬間の写真です。思わずシャッターを押しました。 簡素で何の装飾もない、バケツを一回り小さくしたような日常使いの漆器です。 長年使い込まれて、表面の赤漆がすれています。地肌の黒漆が見えており、和歌山県の根来塗りに似た、何とも言えない風格が漂っています。 大きさは両手で抱えられるぐらいの桶でした。中には細かな木屑を干したものが、入っています。 この木屑を熱湯で煎じて、着色をするそうです。 突然脳みそからアドレナリンが出て、私の物欲を刺激しました。これ欲しい!と思いました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑧

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑧ 骨董品の漆器は、どこに眠っているのでしょうか。 街中を隈なく探しましたが、バガンでは骨董品の漆器を扱う店を見つけることはできませんでした。 翌日にマンダレーに戻ろうか、私は迷いながら宿に戻りました。 結局あと一日バガンに滞在することにしました。宿の黒猫が可愛くて、私に懐いてくれたのです。猫がいる宿は、居心地が良いのです。 今考えると、この黒猫が私に骨董に出会うチャンスを与えてくれました。骨董品の漆器は私が思いもしないところにあったのです。 バガンの郊外の屋台で、朝食にモヒンガーという麺料理を食べていると、「日本人ですか?」と片言の話しかけてくる若い女性に会いました。 彼女は「地元の高校生で、欧米ツアーガイドのアルバイトを時々しています。お願い事があるんですけど。」と私に言いました。流暢な英語が話せるようです。 「日本人ツアー観光客からチップに日本の硬貨がもらえることがあります。それが1000円ほどの纏まった額になったので、ミャンマーのお金(チャット)に変えてもらえないでしょうか?」 大した額ではないので、快く良いレートで両替してあげました。すると彼女はお礼に自分の村を案内してくれるとのこと。 私はバックパッカーで時間に融通がきくし、村も近くなので行ってみることにしました。村は屋台から3キロほど離れた郊外にありました。 赤い木の実を庭に干しています。壁が藤で編まれた平屋建ての民家です。 別の民家です。風通しの良い、陽気で開放的な平屋建ての民家です。彼女のおじさんが夫婦で住んでいました。 どの家族も、民家の隣に牛を2頭飼っています。田んぼや畑を耕す際の動力源ともなり、農作業に欠かせないとのことでした。 牛の首にかかっている黄銅の鐘が、カランカランと心地よい音でなっています。 本当に気持ちの良い農村です。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑦

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑦ 下塗りの後に、手彫りで細かな彫刻を施し、仕上げの塗料を塗るのがバガン漆器の特徴です。 指導教官が目の前で、彫刻の実演をしてくれました。長年の経験で、頭に思い描いた絵柄を思い通りに彫刻します。迷いなく動き、下絵は一切ありません。 ミャンマー人指導教官の年季の入った両手の指が、物を作り出す手が凄みを感じます。改めて写真を見ると、ものづくりの職人は素晴らしいと感じました。 日本の香川県の伝統工芸品である香川漆器が、同様の蒟醤(きんま)技法を用いています。 この工房では小物の漆器では、20ドル位からありました。ミャンマーの伝統を生かした自然素材や、制作の手間暇を考えると、この値段は安いと思います。 街中の土産店で売られている10ドル以下で買える、妙にテカテカ光る安っぽい塗料のミャンマー漆器とは全く質感が違いました。 バガン漆器の伝統が、国立学校の設立で後の世代に継承されている事実を目の当たりにできました。 残念ながら、この工房では骨董品の漆器販売はありませんでした。 感謝の気持ちも込めて、蒟醤漆器を何点か購入して、工房を後にしました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑥

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑥ 指導教官のミャンマー人漆芸家が開いている工房に行きました。 場所はバガン市街の街道沿いにありました。観光客向けに商品を展示してある平屋建ての商店と、教官家族が暮らす自宅が2軒並んで建っています。 外国人観光客のバスが停車できるように、駐車場も備えた大きな敷地でした。 漆芸学校の先生からの電話で、私の訪問連絡を事前に快諾してくれた指導教官本人が応対してくれました。 50歳ぐらいの老眼メガネをかけた細身の男性です。知的な顔つきで、ミャンマー伝統の男性用布スカートであるロンジーを見事に履きこなしていました。 日本の着物もそうですが、民族固有の衣装を普段使いしている人は、本当にかっこいいと思います。 店舗の一角に漆器製作のブースが設けられていました。 作りかけの漆器が手順ごとに並べられて、外国人観光客向けに説明しやすいように展示されています。 写真左上に砂岩とそれを砕いた粉が灰色のプラスチック容器に入っています。 ミャンマーの伝統的な漆器には、下地に粘土質の土と木屑、漆を混ぜてものを最初に下地に塗っていきます。 写真左下の工程の始まりとなる、下地が竹でできた器にご注目ください。一番底の部分に穴が空いています。 塗料を塗った後、底に溜まった余分な塗料を、穴から自然に排出できるように、指一本分の空洞が残っています。 この工房の器は10回の塗り工程を経て作られています。下の段の左から右に行くごとに、塗りの回数が増えていきます。 中段の右から左にかけて凹凸がなくなって、表面が研ぎ澄まされているのがわかります。 中段の左から2つは最後の仕上げの部分で、上質な黒漆を塗ってあります。そして完成です。 どのくらいの期間が必要なのか指導教官に尋ねたところ、器の大きさと素材によって微妙に異なる。 この竹素材の器だと塗りの都度、乾燥させる必要があるので1ヶ月ほどかかると言われました。 本当に根気のいる作業です。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑤

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑤ 教室の奥にある棚に、竹で編んだ下地の完成品が並べられていました。 花瓶状の下地が3つ、皿状の下地が50枚以上重ねられています。 接着した部分を乾燥させ、硬く丈夫にさせることで下地を強化しているようです。 それから塗りの作業となります。 上の作品は仕上げ前に何度か漆を塗ったものを、乾燥させている制作途中の作品です。土台となる底と、胴体の部分は黒を基調とした漆、器部分は朱色の漆を塗っています。 漆を何度も塗って乾燥させるという作業を10回以上繰り返します。本当に手間暇のかかる根気のいる作業です。 漆芸学校の教員達を更に指導する熟練工の男性指導教官がいるそうです。自らの工房を持っているそうです。 その指導教官が開いている工房を紹介してくれると言うので、昼食後に訪問することにしました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン④

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン④ 下地作りの技術を教える教室にやってきました。 壁は淡いグリーンの色彩で、コンクリート張りの教室になっています。 日本の教室によくあるタイプの机や椅子は、1つもありません。 板敷きのテーブルの上に、バナナリーフのむしろが敷いてあります。その上に、竹ひごや制作途中の下地が置いてありました。 ミャンマー漆器の主な下地の材料は、竹だと教わりました。馬の尻尾を使うこともあるそうです。 日本の漆器は、下地に木材を使うのが一般的だったので、素材の違いに驚きました。 日本は分業制のところが多く、木地師という漆器の下地を専門に作る職人がいます。ミャンマーでは全て一人で作る様です。 教室を見ると、日本の木地師がよく使う木を削る道具や、備え付けの重機が全くありません。一体どうやって下地を作るのでしょうか。 上の写真をご覧ください。 何と小刀で竹ひごを手作業で作り、それを一つ一つ上に重ねていくことで器の形を作っていくのです。手間暇のかかる繊細な作業です。 制作方法としては、以下の手順と先生から説明を受けました。 ①まず竹を刃物で削り、竹ひごで土台となる下地を作ります。 ②下地が完成したら、漆を塗り、乾燥させる、磨きをかけるという工程を10回以上繰り返します。 ③最後に細かな装飾を手作業で彫り、場合により金箔や他の色を刷り込んで、磨いて仕上げます 竹ひごは良くしなるので、器の形状に制限はないと先生が言っていたのが印象的でした。 日本の漆器は重機を使い、ろくろや鉋を用いて作ります。もし間違って余分に木材を削ってしまうと、サイズを小さくするか、全て破棄するしかありません。 一方、ミャンマーの竹ひごを下地にする漆器では、もし下地作りで途中に失敗しても、その部分を外して補強すればいいのです。 マイペースに作ることができ、形の自由度も高いのです。 また、小刀一本で作れるので場所を選ばず、高価な備え付けの重機も必要ありません。 現地に多い竹をうまく活用した、地元の習慣にマッチした伝統工芸品だと私は思いました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン③

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン③ バガン博物館を見学した後、隣の建物にある漆工芸を教える学校に行きました。 教員室と思われる場所に、何人か先生がいました。まずは撮影の許可を撮るべく「日本から来た観光客です。」と挨拶しました。 英語が話せる女性の先生がいました。 ここは国立の漆器学校で、ミャンマーで伝統工芸品の漆塗り技術を継承するために建てられました。 日本の会社や漆芸の先生が、時々視察に来るそうです。日本の技術指導もあり、ミャンマーの漆器作りに役だっていると言っていました。 撮影禁止の札がないところは、自由に写真を撮って良いそうです。 優秀な生徒や、先生の作品が戸棚に展示されています。 ゴールドの蒔絵を施した、斬新なデザインの作風が目を引きました。街中で売られている安価な漆器とは全く違う、美術品としての風格を感じます。 先生が、担当している下地を制作する教室に案内してくれました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン②

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン② 敷地内には建物が3棟ありました。その1つは漆器博物館という建物です。 博物館の至宝はミャンマー仏教の経典です。写真撮影は可能でした。 これが経典。後ほど解説文を読むことにします。建物入り口に来ました。 入り口上部に漆器博物館という表示があります。黒地にゴールドの沈金が施された綺麗な看板です。 展示品はまだ少ないです。その多くはミャンマー漆器特有の仏塔をかたどった蓋がついた漆器です。 ミャンマー仏教の経典「カンマワーザー」一巻が展示されていました。一巻揃っているのは最近では珍しいと思います。経文を束ねる文字入りの赤い帯も付属されていました。 左側に説明文が英語で書かれていました。この経典に関しての解説です。 「経典を作るにはまず、貝葉に朱色の漆塗りをする。その後、裏表に金箔を押し、黒漆で経文を書くそうだ。 文字はパーリ語、ビルマ文字、シンハラ文字など上座部仏教を信じる民族の文字が使われる。これはビルマ文字と推測されるが、現代の書体とは異なる。」 私も20年以上前に、上の写真と同じ書体の経典をタイ北部の骨董店で入手しました。現在も貴重なコレクションとして、自宅に保管しています。 今回の旅で、経典の帯があるのがわかり、新たな発見がありました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン①

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン① バガンはマンダレーから、南西に180Km離れた距離に位置し、大型バスだと6時間ぐらい移動に必要です。 でも、外国人観光客に人気の都市のため、ミニバスやタクシーが多くあり移動手段には事欠きません。 私はホテルで予約したミニバスを利用し、ホテルでピックアップしてもらい、5時間程で着きました。 早速、宿に荷物を預け、自転車を借りて郊外に出ました。 パゴダの高台に登ると、木々の間から上の写真のように仏塔が物凄い数でそびえ立っています。 パゴダの入り口にあった解説文です。 「バガン遺跡はアンコールワットやボロブドゥールと共に世界三大仏教遺跡の一つとされ、ユネスコの世界文化遺産に2019年指定された。 上の仏塔は13世紀に建てられたものであり、仏塔の数は全部で3000を超えると言われている。」 私は骨董を探す前に、現代漆器の製作現場を見てみたいと思いました。 バガン博物館に、ミャンマー漆器の伝統工芸を教える職業学校があると聞きました。 学校はバガン博物館の敷地内にある様です。入り口の門に到着しました。立派な門構えです。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器 マハムニ寺院

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ミャンマー 骨董品の漆器 マハムニ寺院 私は若い頃、重く落とすと割れてダメになる焼き物には関心がありませんでした。ようやく最近、使い込むほどに化ける陶器の魅力がわかってきた感じです。 それよりも、落としても割れない漆器の方が好きです。私は丈夫で軽く、光沢がある器が好きなんです。 ミャンマーでは銀細工の他に、伝統工芸として漆器製作も盛んです。土産物店では観光客向けに安価な漆器が大量に売られていました。 骨董品でも、金箔や彫刻が施された多種多様な漆器があります。 上の写真は、マンダレーのマハムニ寺院の宝物庫に展示されている漆器です。色絵彫りのある漆器、朱塗りや黒塗りの漆器が多いように感じます。 更に金箔を表面に被せた漆器が、最も格式が高い器でしょう。 現在、最も漆器が盛んに作られているのは、パゴダで有名な世界遺産の街バガンだと聞きました。 マンダレー観光が終わった後に、パガンに行きました。 (次回へ続く)