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中国とカザフスタンの国境で拘束された話

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中国とカザフスタンの国境で拘束された話 中国のウイグル最西端の街であるイーニンを出発して、コルガス国境へ向かいます。 この国境が曲者でした。 私は徒歩で直接国境の検問所に行ってしまい、門の前にいた警察官に拘束されてしまいました。 迂闊にも、私は事前に国境越え情報を入手していなかったのです。 この国境は本来、バスでしか国境を陸路で移動できない決まりでした。 検問所にはあからさまに外国人を見下す、ウイグル人の警察官が一人いて、私を苦しめました。 私は彼に連行されるときに、猫のように首根っこを強い力で掴まれました。 どうも三毛を日本からのスパイではないか、疑っているようです。 彼に問答無用でパスポートを取り上げられ、パトカーに押し込まれて、近くの警察署に連行されました。 そこで2時間ほど取り調べを受けました。中国人の上司がもう一人ついて、彼は紳士的でした。 取り調べには素直に応じたので、暴力的な行為はありませんでした。 彼らには中国語しか話せず、英語がほとんど通じません。 中国にとって、外部に流出すると都合が悪い写真がないか、カメラの写真を全てチェックされます。 どうもアメリカとウイグル問題で確執が起きており、ウイグル地域の警察はピリピリしていたようです。 もちろん三毛はスパイでもなく、ただのバックパッカーなので、流出して困る写真は一枚もありません。 その後、勘を頼りに間違いに気づきます。 バスターミナルまで徒歩で戻り、無事に国境越えのバスに乗ることができました。 国境の町は、すみやかに移動するに限ります。とにかく最新の陸路越え情報を必ず準備しておくことが肝心です。 バックパッカーとしての基本を見落としてしまい、迂闊でした。 何とか無事に中国をビザ期限が切れる当日までに脱出できました。 やれやれ・・・。

コルガスの博物館

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中国とカザフスタンの国境 コルガスの博物館 ウイグル地域を西に向かい、旧ロシア連邦国家であるカザフスタンへ陸路で入国するため、中国側の国境の町イーニンに着きました。 ここはコルガス地域と呼ばれ、天山山脈の麓に広がる中央アジアのオアシス都市です。 早速、博物館を訪れました。 ここは、中央アジアで発掘された銅製品の所蔵で有名です。紀元前4世紀から紀元前1世紀の銅剣が展示してありました。 下の写真は、銅刀です。ウイグルナイフの原型と言われており、上の写真の銅剣よりも、造られた年代は古い です。 紀元前4世紀から紀元前3世紀のものだと言われています。 興味深いのは、蒙古刀の展示がありました。 モンゴルから移住した遊牧民が、この地方に住んでおり彼らが使用していた品物です。 チベットにも似たような形状のナイフがあります。 火打ち石に打ち付けて、火花を起こすための平らな金具がついているのが特徴です。 中央アジアでの遊牧民文化が、国境を超えて広まっている様子がよくわかります。 とても面白く、良い展示内容でした。

ウルムチのB級グルメ

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ウルムチのB級グルメ 海外旅行の楽しみの一つが、現地での食事です。 三毛はマクドナルドや、KFCなどのフォーストフードは普段食べません 。 中国本土では快食という作り置きの惣菜に、ご飯とスープが付く定食屋さんが、どの町にもあります 。 ステンレス製の定食プレートにご飯と3品ぐらいのおかずを自由に選んで、10〜15元ぐらいの値段です。 日本円にすれば250円前後という安さで、本格的な本場の中華料理を食べることができます。 おかずは、その地域ごとに特色があるので飽きがきません。もちろん人混みができている人気店を選ぶのが鉄則ですが。 いろんな国を旅したが、食に対するこだわりは中国が一番だと思っています。 中華料理は世界3大料理の一つとして有名ですが、どんなに安い店に行っても、まずいと思ったことは一度もありません。 おかげで、中国本土を旅行すると三毛の体重は増えます。 ところがウイグル地方から中央アジアを旅すると、途端に食のバリエーションが狭くなります。 イスラム文化が濃くなるため、豚肉が使えなくなるからでしょうか。 また内陸部で農業用水が豊富に使えないため、米から小麦を使った麺やナンに主食が変化します。 そんな中で唯一、ウルムチでよく食べられる米料理がプロフです。 羊肉と人参や玉ねぎの炊き込みご飯です。これは人気店で20元ぐらいでした。 油飯に近い感じです。ラードでギトギトなのが、好き嫌い別れるところです。 ここ中国でも最近の物価上昇は激しいです。 一回の食事代も、3年前の中国旅行から2〜3元ぐらい値上がりしていました。 その影響か、物乞いがウルムチにも数人いました。みなウイグルの老人でした。 中国本土の地方都市でも、漢民族の老人がバス停の周りで物乞いをしていたのが気になりました 。 少子高齢化と財政状況の厳しい日本でも、将来同じような光景を目にすることになるのだろうと思いました。 まだ経済に勢いのある中国よりも、日本の将来の方が実は状況はより深刻なのです。 最近の円安による輸入インフレで日本でも驚くほど物価が上がっています。 まさに不況下の物価上昇、スタグフレーションです。この老人の姿は私にとって人ごとではないし、三毛の数年後の姿かもしれません。

ウルムチ市内の再開発

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ウルムチ市内の再開発 ウルムチを訪れるのは2回目ですが、20年前と比べて、街の活気がなくなった印象を受けました。 鉄道や高速道路の発達で、中国人の西域進出が活発化した結果、漢民族の文化が街中に目立つようになったのです。 再開発で古いモスクや寺院が次々と取り壊されているのを、今回は目の当たりにしました。 加えて、街中は監視カメラだらけです。 モスクの入り口には、身分証をチェックする自動改札機が置かれており、監視を恐れて集団礼拝をする人は誰もいませんでした。 街中では頻繁に警察や公安の車両が巡回し、小規模な交番が至る所に設置されています。 イスラムの影響を受けたでウイグル文化が衰退し、中国沿岸部の巨大都市と変わらない街並みになってしまいました。 (ウルムチの街並み) 再開発後のウイグル風の建物には、何の魅力も私は感じません。 数百年の歴史のある建物や寺院を取り壊して、その跡地に新しいウイグル風の観光テーマパークが造られても、目の肥えた外国人観光客の心には全く響かないと思うのですが・・・・。

ウルムチの省立博物館 ③

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 ウルムチの省立博物館 ③ 紀元前2800年頃にウイグル地方で生活していた古代遊牧民の衣装です。 帽子と靴、革製のレプリカだと思います。 西暦25年から200年の間に作られたと推定されるネックレスもありました。 こちらは本物です。メノウや半貴石が材料です。 一番左のネックレスは漢字が彫られていて、ウイグル地方に後漢王朝の文化が流れ込んでいたことを物語っています。 三国志時代の馬超が軍閥として有名ですね。羌族の騎馬部隊は雄強で恐れられていました。 当時の矢もありました。

ウルムチの省立博物館 ②

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 ウルムチの省立博物館 ② ウイグル地方の古代遊牧民の衣装ですが、アクセサリーの展示もありました。 (古代遊牧民の女性イメージ像) (白玉が素材の杖取手) (金の首飾り 後漢 三国志時代) (木製の櫛と銅鏡 後漢 三国志時代) いつの時代でも、女性は身だしなみに気を配っていたようです。コンパクトミラーの原型とも言えるでしょう。

ウルムチの省立博物館 ①

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ウルムチの省立博物館 新疆ウイグル自治区の省都は烏魯木斉(ウルムチ)というところです。その省都にある地方博物館にやってきました。 からっと晴れて、とても良い天気です。湿度は低く、内陸部にやってきた感じがします。 ここは古代シルクロード時代から東西交易の中継都市だった歴史があります。展示品を見てみましょう。 (騎馬部隊兵士の銅像) 紀元前2500年頃に製作された兵士の銅像です。弓を構えて撃つ姿を表しています。 こんなに高度な鋳造技術を持っていたなんて、すごいと思います。 日本はまだ縄文時代で、竪穴式住居で石器生活をしていました。 (青銅製のナイフと菱弓の金具) 左から二番目が弩級と呼ばれるクロスボウの金具です。当時は世界最先端の飛び道具だったのでしょう。 (ウイグル地方の遊牧民の衣装) 衣装もおしゃれで、現代のファッションと遜色ありません。

烏魯木斉の玉石市場

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烏魯木斉の玉石市場 ウイグル自治区の省都、ウルムチにやってきました。 20年前と比べると、街はさらに中国化しており、中華建築や高層ビルが目につきます。 街中は再開発中で、ウイグル建築物の解体作業が至る所で進行中でした。 でも街を歩いている人々は、当時とさほど変わりません。中国人よりもウイグル人の方が多く目にします。 ウイグル人はテュルク系民族で、黄色人種の漢民族とは全く異なる風貌をしています。 トルコ人に似た彫りの深い白人で、ヨーロッパ風の美男美女が多いです。 でも彼らの話す公用語は中国語なので、奇妙な感覚を覚えました。 こういう光景を見ると、いよいよ西域の国にやってきたなという実感が湧いてきます。 市内に玉石のバザールがあるというので、行ってきました。 露店ではなく、古い商業ビルの中にありました。このビルが全て、玉石の商業施設というのはさすが中国でスケールが違います。 (通路に置かれた和田玉の巨大な原石) (建物内の玉石バザール) (バザールの風景) 絨毯を担いだ男性に話かけたところ、タジキスタンから玉と絨毯を売りにきたと言っていました。さすがはシルクロードです。 (展示されている玉の美術品)

哈密の民族博物館

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 哈密の民族博物館 嘉峪関を後にして酒泉を経由し、中国高速鉄道のハーモニー号に乗ってシルクロードをさらに西に進みます。 日本の川崎重工が周囲の反対を押し切って、2000年代初頭に中国に新幹線の技術を供与しました。 それをもとに、中国で作られたのがこのハーモニー号です。 ほとんど、日本の新幹線と変わりませんが、防犯カメラが各車両についています。 中国は2015年に、より高速化したCRH380Aという車両を開発しました。 中国はこれを独自の技術として、インドネシアの高速鉄道の受注に成功しています。 シルクロードのオアシス都市、哈密に到着です。 ここは哈密瓜というマスクメロンに似た果物の産地です。旬の時期は1個50円ほどで売られています。とっても美味しい果物です。 哈密の民族博物館にやってきました。 目玉は古代ウイグルの女性が身につけていた装飾品です。 (黄金の飾り物) 紀元前2世紀に、遺跡の墓から発掘されたもの (清朝の金と銀の器) (明町の将軍の兜)

嘉峪関の長城博物館

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嘉峪関の長城博物館 シルクロードを西に進み、嘉峪関にやってきました。 ここは万里の長城の西端にあたる関所です。 1372年にティムールの軍に対抗するため、明の時代に建設されました。 一部は日干しれんがで城壁が作られています。 長城博物館がありましたので、見学します。 武具に関する展示物が多いです。 青龍刀です。日本刀と比べても、かなり大ぶりです。 いちばん左にあるのは、中に火薬を入れて爆発させる「たいほう」です。 元寇の時にも、日本の騎馬武者に対して中国軍が使用しました。 三国志の蜀の武将、周倉がかぶっていた帽子に似ています。 彼は関羽の副将で、中国では神様として、関平と一緒によく3人で祭られています。 弓は小ぶりなコンポジットボウですね。

張掖のシルクロード仏教美術

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張掖のシルクロード仏教美術 甘粛省に入り、本格的なシルクロード旅行の始まりです。 大仏涅槃像と七彩の山風景が有名な張掖にやってきました。 昔は上海から風呂にも入れず、二泊三日も時間をかけて、寝台列車でここまで旅をしました。 今は新幹線があるので、まる一日もかからずに、西安からウルムチまで快適に移動できます。 本当に便利な時代になりました。駅前には、自動のレンタルサイクルまでありました。 街中には仏塔もあり、中国の影響を受けた西域の街という雰囲気です。 仏塔の近くに、涅槃像で有名な大仏寺があります。 中国有数の巨大な涅槃像です。 巨大すぎて、全身を映すことができません。 隣の建物が仏教美術館になっていました。仏像やタンカが並んでいます。 青海省の西寧と比べて、チベット文化の影響はあまり受けていません。 いちばんお気に入りの画像がこちら。 携帯式の秘仏像です。高度な金属工芸ですね。