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(実話)インド レー チベットの骨董品について

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  6月中旬から7月初旬にかけて、インドのラダックを初訪問した。 ラダック訪問の目的は、ザンスカールを除く主要な観光地を見ることと、インドにあるチベット文化を知ることだった。 2週間の滞在期間中に、有名どころは一通り訪問できたが、チベット文化は本当に奥が深い。 ネパールのチベット文化と比べると、ラダックでは中国の影響が排除されていて、より純粋なチベット文化が残っている気がする。 チベットにルーツのあるラダックの人々は、仏教が日常生活に根ざしていて信仰心の深い人ばかりだ。 それが一番よく表れているのが、ラダック地方に残るチベットの骨董品。 ガウと呼ばれるペンダントは、マントラや仏像がかたどられていて、昔の女性は民族衣装を着て、それをいつも身につけていたという。 安いものは、銅の下地に銀メッキが施された普及品が、小さく傷のあるもので、2千円位からネパールでも売っていた。 上記のように、金張りの高いものになると、最低十万円からの値札がついている。 骨董品の種類や品揃えは、ラダックがネパールよりも良いと感じた。 滞在中に、街中のアンティークショップに訪問して、気になる品がないか探してみた。 ヒンドゥー色の強い、インド本土の骨董と比べると、チベットの骨董は明らかな違いがある。 それは、チベット骨董は、本来人間が持っている心の奥底に潜んでいる澱み(よどみ)を内包していることだ。 人が動物とは違う何かを持っているということ、赤裸々な「人間性」を惜しげもなく表現していることである? 澱みとは、人が本来持つエゴイズム、欲望や個性、生への執着、死への恐怖、闇(やみ)の部分である。 それをありのままに表現するために、髑髏(シャレコウベ)を多用した仏像や、鬼神像に優れた名品が多いと思った。 鳥葬で亡くなった偉い人の大腿骨の骨を笛にしたり、頭蓋骨の一部を数珠にしたりするのも、日本にはない文化である。 日本や西洋の、万人受けする美しい骨董とは違う、チベット骨董のもつ、呪術的な側面を理解できたことは良かった。 でも、三毛の嗜好とは明らかに違っている。 ちょっと、私にはついていけないと思った。 これは人を選ぶ骨董のジャンルだ。 一度足を踏み入れると、底なし沼に身体全体が引き込まれていく予感がした。 それほどの魅力を、チベ...

(実話)インド ウダイプル 骨董品を求めて街歩き

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インドを旅行すると、どんなに小さな村にも、必ず1軒は鍛冶屋がある。 鍛冶屋にも2種類ある。 鉄やステンレスの刃物を扱う刃物職人と、ブロンズや真鍮を打ち出し、加工してコップや皿を作る職人の2つだ。 三毛は金属工芸の収集が趣味で、アジアの古い銀製品を中心に集めている。 100年以上前の骨董品だと、国外に持ち出すのが大変なので、戦後に作られたヴィンテージ品で、良いものを集めている。 インドでは銀だけでなく、ブロンズや真鍮の美術工芸品にも優れたものが多い。 これはブーンディの骨董屋で見つけた、真鍮でできた曲刀の柄部分。 うさぎを捉えようとする、ヒョウのデザインが躍動的で素晴らしい。 柄の図柄としては良く見るタイプだが、私の好きなデザインだ。 反り返った鉄製の刃がついていればよかったが、なかった。 銃刀法の関係で、日本に持って帰ることができないので仕方ない。 こちらはウダイプルで見つけた、銀細工店のショーウィンドウ。 腕輪にヴィンテージ品がいくつかあるが、あとは10〜20年前に作られた比較的新しいもので、デザインも雑。 一番手前の中央にある孔雀の銀針金細工も、既製品で大量生産されたもので、面白みはない。 銀メッキの品もいくつか紛れ込んでいて、買いたい衝動には駆られなかった。 別の店で、三毛の物欲を刺激したのが、ダマスクス鋼のフォークのすぐ左にある、手術用の古いメス。 ムスリムの医者が使うもので、アラーの加護を願って柄部分に祈祷文が入っている。 荷物の関係上、今回はスルーしたが、次回は手に入れたい。 こんなふうに、自分だけのお宝を求めて、街歩きをするのも大好きである。 三毛イキルのプロフィール 外こもり写真(フォトAC   全てダウンロード無料) https://premium.photo-ac.com/profile/24044959 2024 年 2 月~ 7 月のインド・ネパール写真を、 Adobe stock ・フォト AC に新規追加しました。