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(実話)インドを旅して手に入れた骨董品 その1

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三毛は、骨董が好きである。 プロの古物商ではないので、利益を得るために、次の買い手を気にする必要はない。 だから、海外旅行中に自分が良いと思ったものは、どんなに高くても手に入れるように、心がけている。 資産運用に失敗したときには、今までの収集物を手放すかもしれないが、今のところは大丈夫のようだ。 とはいえ、他の日本人バイヤーが足元を見られることのないように、あらかじめ相場を下調べしてから、値段交渉をして買うようにしている。 eBayなどの海外オークションサイトを参考にすることが多い。 骨董商(売り手)との交渉も、嫌なことは時々あるが、大抵は旅の良い思い出となることが多い。 特に自分の代で創業した骨董商は、プライドが高く世間のレールから外れた、変わり者が多い。 頑固な人、せっかちな人、他人に対する好き嫌いが激しい人が、多い印象を持っている。 私と同類なのだ。 だから三毛が上客だとしても、彼らの気持ちを損ねることは悪手である。 本当に欲しいものがある場合、決して表情に出さずに下手に出ながら、値段交渉を行うことが多い。 これは、インドのマイソールで手に入れた品。 小指ほどの大きさの、細密な銀細工の箱。 インドの携帯ピアノ、ハルモニウムをかたどった小箱である。 インドで有名な針金を使った銀細工Silver Filigree Workと呼ばれる逸品。 Filigree Workは、主にオリッサ州の民族工芸や、アンドラプラデーシュ州の地方都市で、昔から作られている。 これは戦後に作られたもので、骨董と言えるほど古くはない。40〜50年ぐらい前のものと店主は言っていた。 こういう細工の細かく、見て使って楽しめる綺麗な貴金属工芸品が、三毛は大好きなのだ。 三毛イキルのプロフィール 外こもり写真(フォトAC   全てダウンロード無料) https://premium.photo-ac.com/profile/24044959

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀細工骨董品③

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀細工骨董品③ マンダレーでは中央市場近くの6階建ての小さなホテルに止まっていました。屋上が吹き抜けのレストランになっており、毎朝無料の朝食が出ます。 そのホテルのオーナーが、骨董収集家で私が長期滞在していたこともあり、仲良くなりました。日本にも何度か旅行したことのある親日家です。 三毛の趣味は海外旅行と骨董収集だと言ったところ、事務所の金庫にあった彼の収集物を少し見せてもらいました。 その金庫には金塊や金象嵌の骨董もあり、さすがミャンマーの金持ちは格が違うなと思いました。 彼は両替商も兼ねており、質屋の様な商売もしているのでしょう。 昼間は地元のバイクタクシーが、外国人観光客からもらった米ドルをミャンマー通貨に替えてもらうために、ホテルのフロントに来ている光景をよく見ました。 「骨董品は、裕福な国や人に行きやすい」という格言は真実だと思いました。 彼に下にある写真の彫刻を見せました。 彼もまた、現代のミャンマー文字とは違うが、いくつかの文字は数字だと思う。 この箱が作られた年代を表しているのではないかと言っていました。 名家が生活のために手放したか、仏教寺院のパゴダに収められていたものが、何らかの事情により、国外に流出したのだろうとのこと。 これほど質の良いものは、今のミャンマーではもはや手に入らないと言われました。 「今回の旅で、マハムニ寺院の宝物庫にある銀細工箱と、銀細工職人・現地コレクターの見方を 総合すると、三毛所持の銀細工箱はマンダレーの制作工房で作成された物の可能性が高い。裏 のキマイラ図柄はビルマ王室お抱え職人の工房で制作されたことを示すホールマーク、右下の 数字は制作された年代を示しているのではないかというのが、私の意見です。」 骨董業界のプロの方や、学術関係者の方がいらっしゃいましたら、その見識をコメント覧からお気軽に教授ください。 以上で、銀細工骨董品の由来を探すミャンマー の旅シリーズは終わります。 (終)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀細工骨董品②

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀細工骨董品② マハムニ寺院の宝物庫に、20個ほど展示されていたミャンマーの銀細工箱「Silver Betel Container 」。 その中で、三毛が最もクオリティが高いと感じた逸品がこれです。 半月状の形をしており、上蓋の部分には花柄が中央に、その周囲を粒状の飾りが三重に取り囲んだデザインをしています。 一番外側の飾りは花の蜜を吸う鳥を表現している様です。 側面には、ツタをモチーフにした図柄の唐草文様。ツタの隙間から、何かの動物が描かれています。ネズミに少し似ていますね。 展示物のため、箱の裏側や底の部分はよくわかりませんでした。そういえば、これと同じ図柄は、三毛所持の銀細工箱にもありました。 この半月状の箱は、私の持っている蓋が完全に取れるタイプではなく、裏側に針金状の留め金があって180度、真後ろに開くタイプだと思います。 この小箱が三毛がミャンマーで見た中で、最も美しいと感じた銀細工の骨董品でした。 (次回へ)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀細工骨董品①

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀細工骨董品① 実用品に近い、銀製品の生活骨董に関する展示コーナーです。 これはビルマの王族や富裕層が使用した食器やアクセサリー、置物のコーナーです。 銀の食器やスプーンの他に、三毛が所持しているキンマ入れの銀細工箱も、20個ほど展示してありました。 ルビーの様な赤い宝石で飾られた、うちわ状の銀製品が最上段に3点あります。 日本のうちわは、下の画像ラベル①番のような取っ手が真下についた卓球のラケット型が一般的です。 ミャンマーやインドを含む南アジアでは、上の写真にあるラベル③や④のうちわが一般的です。 軸を左右にずらして木製の取っ手棒をつけ、その棒を回すことで、団扇が遠心力で周囲360度に風を起こす仕組みです。 ミャンマーでは両方のタイプの団扇が、昔から存在したということでしょうか。庶民が今でも使用する団扇は布や紙、麻が材料です。 これは団扇の部分も小さく、銀製なので全く実用向きではなく、室内装飾用や副葬品として作られた可能性があります。 透し彫りの細工が本当に見事です。 上の写真、鶏の置物もありました。左下のキンマ入れは、側面に彫りがなく簡素な作りですが、作られた年代はかなり古く、19世紀中頃の作品と思います。 (次回へ続く)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の鞘(さや)②

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の鞘(さや)② 当装具コーナーの一角は、短剣の外装に関する展示がありました。 形状から、上の2つは片刃、下の2つは両刃を収める鞘と分かります。一番下のダガーは、本身が出ていた唯一の展示物で曲線の形状をしています。 敵の曲刀を受け流すパリングダガーか、急所を一撃できる様に刺突に適した殺傷力の高い両刃のダガーです。柄の部分は、鹿の角の様に見えます。 よく見ると中央の下側に、小さな鉄の輪が付いています。最初見たときは銃剣としてライフル銃の先に付けられる様にしてあるのかと思いました。 銃に装着する鉄輪があまりに小さいことから、どうも違う様です。紐を通した後に、何処かに吊り下げて使用したのでしょうか? 想像力が掻き立てられます。

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の鞘(さや)

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の鞘(さや) 隣のブースは、ミャンマー王族男性の当装具に関する展示コーナです。金象嵌やシルバーを中心とする貴金属で装飾された武具外装の鞘がずらりと並んでいます。 日本刀のような、弓なりの形の鞘ですね。一般的な日本刀の長さである、2尺3寸よりも身幅や鞘が長い印象を受けます。 この刀身(本身の部分)そのものの展示は、ありませんでした。ミャンマー刀剣の鉄の素材や波紋も見たかったのですが、残念です。 一番手前にある刀剣は銀の彫刻が施されています。重量感がありそうですね。実戦向きではなく王族が儀式の際に使用する、儀礼用の剣だと思います。 一部は象牙が使われており、柄の部分まで銀細工の彫刻が施されています。 展示してあるビルマの刀剣は、持ち手の柄部分が、日本刀に近いタイプと、剣道の竹刀のように丸い棒状になっているタイプの2種類あります。 これが個人的には興味深いところです。柄が丸いと、実際に刀を振った時に刃先がぶれて、実戦でうまく切ることが困難なような気がします。 バランスや振り具合は、実際のところ、どうなんでしょうか? (次回へ続く)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀容器②

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀容器② パンと呼ばれる銀細工の入れ物、桶の器の続きです。 これは、寺院で仏様に捧げるお供え物や、マンダレー朝の王族が宗教行事の際に使用したのでしょう。 タイやミャンマーでは托鉢の僧侶がこれに似た形の、金属器を両手に持って托鉢に出ている場面を、よく見かけます。 現代の僧侶が使用している托鉢器は、鉄かステンレス製です。 豪華な彫刻は一切なく、一枚の金属をひたすら叩いて、器の形に打ち延ばした簡素な作りとなっています。 44番の青いシールが貼られた銀の入れ物は、その側面にビルマの干支が描かれています。 中央にある四角い窓、右から2番目に見えるニワトリは、今にも窓から飛び出しそうなほど見事で、精緻な打ち出し細工が施されています。 上の写真、三毛が所持している銀細工箱にも同じようなデザインがありました。箱の側面部分にある干支の彫刻です。 裏面のキマイラの彫刻や、側面の干支デザインが宝物庫の銀の桶のデザインと酷似しています。 これで、私が20年以上前に入手した銀細工箱の由来が、ほぼ解明できました。 三毛所有の銀細工箱は、マンダレーの地で宝物庫の銀細工と、同じ職人工房により制作されたものと推察できます。 1998年のアジア通貨危機では、ミャンマーやラオスなど、タイ経済に依存していた周辺諸国の被害は、より深刻だったと記憶しています。 ミャンマーの農村では、生活苦のために娘を人身業者に売り渡す事例も続出しました。 三毛所有の銀細工箱はその頃にミャンマーの寺院関係者か、富裕層が家族の生活のために骨董品を売却。 それが骨董ディーラーを経て、より高額な値段の付く隣国タイの骨董業者に流出。 その直後の時期に、タイを旅行していた外国人の三毛に所有者が移ったのだと思います。 骨董品が安住の地を求めて、世界中で自分を守ってくれそうな持ち主を探している様にも見えます。 (次回に続く)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀容器①

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀容器① 貴金属で作られた宝物の展示コーナーがありました。 仏教を手厚く信仰するミャンマーの人々が、マハムニ寺院に寄進した貴重なお宝が、きれいにに展示されています。 説明文によると、これは「Pan (パン)」という銀の入れ物です。 水桶でしょうか?托鉢のお坊さんが両手に持つ鉢に形が似ています。 「パン」と呼ばれる銀細工に関する解説です。 8世紀から9世紀に現在のビルマ族により、征服された少数民族であるピュー族の金属加工技術やデザイン文様は優れていた。 それを現地に定住したビルマ族の金銀細工師が学び、伝統を継承した。 その後、王室お抱え職人を中心に、優れた技術が世襲制で何世代も継承され、現在に至る。 よく見ると三毛所持の銀細工箱と同じような絵柄(キマイラ、鵺)が、底の裏にありました。 これは、制作工房のトレードマークなのか?はたまた、所有者が掘らせたのか? ぬえがミャンマーでは悪魔と捉えられ、底の裏にそれを掘ることで、日常的に災いを退治する意味合いがあるのか? とても興味深いです。 (次回に続く)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の宝物庫

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の宝物庫 ミャンマー国内で眠っている貴重なお宝は何処にあるのか、インレー湖のある東部地域からミャンマー北部の古都マンダレーにやってきました。 下の写真は、マンダレーにある最大の仏教寺院「マハムニ寺院」の入口です。 タイから陸路で国境を越えてミャンマーに入ると、この様な仏教寺院が国内で至る所にありました。まるで仏教のテーマパークに来た様な感覚を受けます。 マンダレーの人々は温和で、信仰心が篤く、日常的に托鉢の僧侶に食べ物やお金を喜捨しています。それは国内の至る所で、日常的に目にする光景でした。 ミャンマーを旅して今でも印象に残っていることは、乞食をしている人を全く見かけなかったことです。 この国では仏教が手厚く信仰されているため、貧しい家庭の子供は仏門に入ることで衣食住だけでなく、教育も無償で受けることができます。そのため、寺院は一種の社会保障を担う役割を持ち、貧困層が少ない社会が成り立っているのです。 私はタイよりも落ち着いた雰囲気を受け、もし初めて東南アジアを旅行するならミャンマーがいいなと思ったぐらいです。 タイの寺院にある建築様式とは異なり、白を基調とした細長い塔のような外見が素晴らしいです。狛犬も巨大でかわいいです。人の身長で比べると、2人分。日本の狛犬の10倍ぐらいの大きさです。 境内に入ると広場があり、その一角に伝統工芸品の宝物庫がありました。 伝統工芸のビルマ漆器の奥に銀細工の展示コーナーがあります。 写真禁止の張り紙はなく、自由に撮って良い様です。念の為、シャッターは自粛しました。 ミャンマーの伝統工芸品は、ビルマ漆器、銀細工製品、木工品、手織り物が中心となっている様です。 (次回に続く)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して インレー湖 銀細工骨董品

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して インレー湖 銀細工骨董品 制作現場を見た後の出来事です。 隣の部屋には広いショールームがあって、工房で制作されたシルバーアクセサリーが売られていました。 店員はいますが、セールスは全くなく、自由に見ることができます。 部屋の隅にはアンティークのビルマ漆器が置かれた棚があります。その隣にヴィンテージ品のビルマ漆器、銀製品が展示してありました。 時代や場所はまちまち、20世紀前半から中頃までにこの地域で作られたと思われる作品です。 中には、中国南部やタイ北部で作られたと思われる「Silver betel container 」も並んでいました。 戦前に作られた「Silver betel container 」は、中国やメキシコからの貿易銀貨を溶解して作られたものが多く、もともとスターリングシルバーと呼ばれる銀の純度92.5パーセントが多いです。 まるで星の様に黄色く輝く、柔らかな色合いをしています。 この骨董品も、その色合いから銀の品位はスターリングシルバーだと思います。 年々、銀製品の骨董は数が希少になっており、100年未満のヴィンテージ品でも価格の値上がりが顕著になっています。 東南アジア経済の発展による所得増加と資源・通貨インフレの影響を2重に受けているからです。 タイの骨董店では20年前に購入した時の10倍以上の値段がついていました。この工房も同じ位高い値段がついており、結局この売り場での購入は見送りました。 治安が悪くなった今では、もう気軽にミャンマーには行けませんが、平和が訪れた後に行けば、意外と安く手に入るかもしれません。

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して インレー湖 銀伝統工芸品の工房②

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して インレー湖 銀伝統工芸品の工房② 工房の制作現場の写真です。そこで働いている従業員は、皆顔立ちがよく似ており、技術の継承が家族・親戚単位で引き継がれているのが一目で分かります。 兄弟姉妹が分業で自分の得意な工程を受け持ち、一家総力をあげて良い銀細工作品を制作していこうという意気込みを感じます。 その伝統技術を村の失業対策のため、惜しみなく村の人々に広めている姿勢は素晴らしいと思いました。 下の作品も全て手作業で作られています。鱗の一枚からパーツを組み合わせて作る、気の遠くなるような、根気のいる作業で作られた芸術作品です。 触って見ると胴体部分が、まるで泳ぎだす様に左右に動きました。胴体の中は空洞になっています。 原料の銀は、別の所から仕入れてきているのでしょうか。 加工が容易になるよう細長い形状を しています。 末っ子の女性は、手先が器用で細かなネックレスのビーズを一つずつ手作りしています。 他にも銀を糸状に細く伸ばして網目を組んで、籠(かご)の様に編んだにした小物入れも制作していました。 銀は柔らかく、加工がしやすいので打ち出し細工だけではなく、藤のかごを作るときの様に、布状に編むことができます。 また中身を空洞にしてビーズを作ったり、バリエーションが豊富に作れると説明を受けました。布の様に綺麗に編み込まれています。 作品を拡大しました。素晴らしい銀製品です。これも全て手作業です。 お目当てのアンティーク銀製品は、別の展示室にありました。 (次回に続く)

ミャンマー 銀細工箱の由来を探して インレー湖 伝統工芸の工房①

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ミャンマー 銀細工箱の由来を探して インレー湖 伝統工芸の工房① ここからは、三毛イキルが所持する骨董品、銀細工箱の由来を解明する旅の記録です。 2018年初旬、タイ側のメーソートという町から、陸路で国境を超えて、ミャンマーを旅行しました。 ネットでビザを事前に申請して、VISA決済をするタイプの一ヶ月ビザだったので、合計30日間のミャンマー滞在でした。 若い頃、タイのメーサイから一日観光ビザでミャンマーに足を踏み入れたことはありましたが、本格的なミャンマーの国内移動は、これが初めてです。 昔は陸路入国はできませんでした。ミャンマーの軍事政権が鎖国政策をとっていたからです。 私はタイから陸路で国境を越えることができるようになれば、すぐに旅行に行きたいと思っていました。 スーチー女史が政権を取り、外国人観光客誘致のため一時的に国境を解放したのです。早めに旅行しておいて良かったなと思います。 さて、本題です。東南アジアの銀工芸は、タイ北部のカレン族が作る「カレンシルバー」が有名です。 カレン族が住むミャンマー東部に何か手がかりがあるのではと目星をつけ、今回の旅で訪問しました。 ミャンマー東地域には、他にアカ族やモン族などの少数民族がいます。彼らも質の高い銀製品を作っています。 各民族固有のデザインを代々継承した伝統工芸品だけでなく、それを現代風にアレンジして国内外の観光客に販売する工房がありました。 世界遺産インレー湖をロングボートで観光した際に、銀細工工房があったので、紹介したいと思います。 ①湖面に浮かぶミャンマー寺院 ②銀細工職人の工房 工房の中に入り、経営者の男性と会話しました。家族経営で代々、銀細工を作ってきたそうです。 今では、働き口のない地元の若者を雇って観光客向けに新製品を販売しているそうです。工房の責任者は、彼のお父さんでした。 彼は50年以上、銀細工を政策してきたベテランです。 ③銀細工の制作現場 「熟練工の父親に、三毛所持の銀細工箱裏面の写真を見せました。下の文字は、現在のミャンマー文字に近いが、全ては判別できないと言われました。 一部は数字を表しているとのこと。銀細工箱が制作された年代の可能性が高いのではないかとの指摘を受けました。」 制作工房の横の部屋は、ギャラリーになっていて観光客向けにシルバーアクセサリーを販売する売り場がありました。 (次...

ミャンマー 19世紀末の銀細工箱④

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ミャンマー 19世紀末の銀細工箱④ 数字部分を拡大しました。 この文字(数字?)はビルマ語でしょうか?日本人の私には、全くわかりません。 お隣の国、タイの文字とは明らかに違います。どちらかというと、中東のアラビア語に近い印象を受けます。「4文字」書かれていますね。何かの刻印でしょうか? 昔から、イギリスやフランスなどの西洋諸国ではホールマークと呼ばれる貴金属の品位を鑑定機関が保証する刻印がありました。 制作した工房の紋章、作成年代も打刻することが国の定めにになっています。0.5センチメートル程度の判子タイプの打刻印ですね。 年代ごとにライオンのマークや、アルファベットの刻印などを金や銀といった貴金属の品位を証明する印として、使用されてきました。また、税金を国に納めたという証明にもなりました。 かつて、イギリスの植民地だったビルマでも、これを模した習慣があるのでしょうか? もしそうだとすると、この文字は金属の種類や品位、作り手や制作工房の名前、制作された年代のいずれかだと思われます。 私は彫られた文字が「4文字」なので、これが作られた年代を表している可能性が一番高いのではないかと推測しています。 <檳榔児について> 下の植物の写真がビンロウジです。 三毛所持の銀細工箱の底には、茶色いナッツらしき跡や白い石灰の層が塊となって今も少し残っています。 檳榔の樹と檳榔子(ビンロウジ)の赤い実 今でもビルマや台湾では檳榔子を売っている人がいて、高齢者を中心に日常的に使用されているそうです。 タバコと同じような、嗜好品ですが火をつけて吸うのではなく、噛んだ汁を吸収するのだそうです。 アルカノイド系の依存性物質を含んでいて、常習性があり、口腔ガンの原因ともなるそうです。読者の皆様には、興味本位で使用しないことをお勧めします。 噛むと口の中が真っ赤になります。明らかに、体には悪そうです。 もっとよく銀細工箱の背景を知りたいと思い、2018年の初旬に1ヶ月ほどミャンマーに行ってきました。 (次回へ続く)

ミャンマー 19世紀末の銀細工箱③

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ミャンマー 19世紀末の銀細工箱③ 私は、ゲーム好きな少年でした。 ファミコン時代から今は亡きアトラスという会社が製作した女神転生シリーズが好きで、その独特な世界観の虜になっていました。 女神転生の悪魔は完全な敵ではなく、会話をして仲間にすることもできるのです。そのシステムは当時、画期的なことでした。 中島と弓子が主人公だった頃から、プレイステーション3の時代までペルソナシリーズも含めてほとんどのシリーズ作をクリアするほど熱中しました。 今でもゲームに登場してきた、世界中の神・悪魔の名前を覚えています。 銀細工箱の裏にある彫刻を見たとき、これは西洋の「キマイラ」、東洋の「ぬえ」だとすぐに気づきました。この名前、聞いたことがありますか? 分かりやすいように、下にイラストを載せました。 ①のキマイラは西洋世界で描かれる魔獣で、頭はライオン、胴体はヤギ、尻尾はへびの形をしています。 ②の鵺(ぬえ)は東洋世界の妖獣で頭がサル、胴体が虎または狸、尻尾が蛇の形をしています。 日本では「平家物語」で時の二条天皇がぬえに苦しめられて、源頼政がこれを退治した話があります。東西文化の違いが、悪魔の姿に反映されており、興味深いです。 ①キマイラ                                           ②ぬえ ③三毛所持の銀細工箱(裏面) 私が所持しているミャンマーの銀細工箱の彫刻は、ヤギの胴体の「キマイラ」、虎と狸が胴体の「ぬえ」と微妙に絵柄が違います。 東洋と西洋の神々(悪魔)を取り巻く文化が、地理的にミャンマーという東西文化が交わる中間地点でうまく融合しているのが、この銀細工箱の面白いところです。 次回は、右下のミャンマー語によく似た言語形態の4文字(数字)に着目したいと思います。 (次回へ続く)

ミャンマー 19世紀末の銀細工箱②

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ミャンマー 19世紀末の銀細工箱② 箱の底部分です。 手掘りで彫刻が施されています。何かの動物の絵柄でしょうか? この骨董を、どこの誰が制作したのか、その手がかりとなりそうです。 骨董の楽しみの一つは、所有者の物欲・知識欲を刺激するところです。 私はこの銀細工箱が作られた文化的背景を調べたいと思いました。 4つ足の動物・獣に見えます。足先には鋭利な爪が彫られています。 拡大してみましょう。顔は獣のようで、前足からは炎が出ており、尻尾の先は槍のようになっています。現世の動物ではないということが、一目で分かります。 入手当初は、獅子か狛犬かと思いましたが、よく見ると全身に鱗が生え、尻尾は蛇のようにう ねっています。 口元からは蛇の舌のような細い銀筋が見えます。顔はサルのようにも見えます。これは、何か伝説上の神様(もしくは悪魔)を彫っているようです。 右下には文字か数字のようなものがありました。 明らかにタイ語とは異なるので、現在のミャンマー語に関連した言語形体の可能性があります。詳しく調べてみましょう。 (次回へ続く)

ミャンマー 19世紀末の銀細工箱①

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ミャンマー 19世紀末の銀細工箱① 三毛イキルです。 これは 20年以上前に、タイのバンコクで入手した隣国ミャンマーの銀細工箱です。 私がアジアの骨董を収集するきっかけとなった逸品です。 入手した時は、表面の細工が素晴らしく、何のために使われたものか、全くわかりませんでした。 そこでインターネットで類似の骨董銀細工の箱を検索しましたが、日本語のサイトでは良い情報がありませんでした。 そこで、タイやミャンマーのアンティークを扱っている欧米のウェブサイトにアクセスしました。その結果、銀細工箱の名前がわかりました。 これは西洋人が『Silver betel container』または『Silver Opium Box』 と呼ぶものだそうです。 Betelは、ビンロウ。Opiumは、東南アジアの芥子から作られたアヘンですね。 昔はアヘンを入れていたのかもしれませんが、20世紀に入って、この銀細工を受け継いだ人は別の使い方をしていたようです。 箱の底には、白い石灰がこびりついて変色した残存物が残っていました。前の所有者は、この銀細工箱に檳榔用の石灰を入れて、日常的に使用していたようです。 ミャンマーでは檳榔子(ビンロウの実)を噛むときに石灰を使用する風習があります。今でもインドや台湾では、檳榔を噛んでいる高齢者を見かけます。 これは、江戸時代のタバコ入れや中国の鼻腔壺のように、富裕層が自分のステータスシンボルとして周囲に誇示するために、特別に職人に作らせた嗜好品の箱だと思います。 細工が素晴らしいです。店で一番質の良いものを見せてくれと店主にお願いしたところ、これが出されました。 戦前のビルマで、19世紀末から20世紀初頭に少数民族により作られた品だそうです。蓋には花柄が中心に描かれ、花の蜜を吸いにきたハチドリを模った鳥が描かれています。 人魚が踊っているような絵柄もあります。虎や蛇をモチーフにした絵柄もあります。 ネズミや象の絵柄もあります。日本の干支とは微妙に異なっているのが、面白いですね。 唐草模様の中に、ユーモラスな動物たちが魅力的に動いています。残念ながら、私が好きな猫はいませんでした。 (次回へ続く)