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(実話)インド ジャイナ教徒の宝石商が秘蔵する第一級の骨董品 その2

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インドで第一級の骨董品を集めるためには、大都市の宝石商と仲良くなることが大切だ。 彼らはジャイナ教徒が多く、4〜5世代前から宝石商を続けているという大金持ちの一族もいる。 5代前の創業者が持っていた売れ残り品が、倉庫に眠って忘れ去られた結果、それが骨董品になっているケースも多い。 中には、重要文化財クラスの信じられないほどのお宝を持っている大富豪もいるのだ。 三毛が、前の記事で銀細工の骨董品を購入したジャイナ教徒のちょび髭紳士。 私の体感では、保有資産は最低でも100億円以上は持っているだろう。 醸し出すオーラにも生活の余裕が感じられる。 私が関心を持つ銀製品以外にも、特別に彼の持つお宝を幸運にも見せてもらった。 これは翡翠でできたマハラジャが保有していたと言われる小物入れ。 唐草模様のデザインが素晴らしい。 これはエメラルドの原石を加工して作られたスプーン。三毛は触った質感から、翡翠ではないかと問い直したが、エメラルドの原石を加工したものだと言われた。 エメラルドは硬くて加工が難しいので、作るのは大変だったろうと思う。 そして極め付けは、マハラジャが保有していたダイヤモンドやエメラルド、ルビーでできた装飾品。 この品は、オークションで軽く1億円以上の値段はつくのではないのだろうか? 3億円以上でも、全くおかしくない。 実物をケースごと、見させてもらったが、凄すぎて写真を撮り忘れてしまう。大きさは、手のひらサイズもあった。 重要文化財級の品物であることは間違いないと、すぐに直感した。 三毛イキルのプロフィール 外こもり写真(フォトAC   全てダウンロード無料) https://premium.photo-ac.com/profile/24044959 2024 年 2 月~ 7 月のインド・ネパール写真を、 Adobe stock ・フォト AC に追加しました。

(実話)インド ジャイナ教徒の宝石商が秘蔵する第一級の骨董品

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三毛は、デリー近郊にいたときに、急にマトンのケバブが食べたくなった。 お昼過ぎのことである。 グーグルで地図検索して、レストランを探して、営業中の店に行った。 店に着いてみると、ケバブ屋の主人は、運悪くちょうど炭に火を起こしたばかりだった。 あと1時間してからでないと、客に出せないという。 仕方ない出直すかと思って、ケバブ屋を出ると、隣に立派な店構えをした宝石店があった。 暑い中、宿に戻るのもめんどくさかったので、暇潰しにインドの宝石でも見てみようと思った。 中に入ると、ゴールドを中心とした眩いばかりの宝飾品が展示してある。 骨董付きの私、新しく作られた宝石には全く興味はない。 それよりも気になったのは、店の隅っこにあった銅製の花瓶である。 彫りもよく、作られてからかなりの年数がたっているようだ。 若旦那の男性にスマホの写真で、三毛の持っている銀骨董のコレクションを見せた。 するとこの店にも、同じような銀製品の骨董をたくさん持っているという。 死んだ祖父が集めた品だそう。 しばらくすると、彼の父親も出てきた。 この店のオーナーである父親は、立派な髭を生やして金持ち特有のオーラがあり、貫禄十分だ。 彼は4代続く宝石商で、ジャイナ教徒だといった。 しばらくすると、店の従業員が倉庫から3mぐらいある大きなブリキ箱を3つも出してきた。 中を見ると全て銀の骨董品ではないか。しかも、かなりの値打ち品である。 インドのマハラジャが使用していた品、中央インドや南インドの銀細工、ミャンマーの銀細工も少しあった。 言い値は予想よりも高かったが、欧州で取引されているほどの高値ではない。 この値段では、まず日本では手に入らないだろう。 三毛イキルのプロフィール 外こもり写真(フォトAC   全てダウンロード無料) https://premium.photo-ac.com/profile/24044959 2024 年 2 月~ 7 月のインド・ネパール写真を、 Adobe stock ・フォト AC に追加しました。

コルガスの博物館

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中国とカザフスタンの国境 コルガスの博物館 ウイグル地域を西に向かい、旧ロシア連邦国家であるカザフスタンへ陸路で入国するため、中国側の国境の町イーニンに着きました。 ここはコルガス地域と呼ばれ、天山山脈の麓に広がる中央アジアのオアシス都市です。 早速、博物館を訪れました。 ここは、中央アジアで発掘された銅製品の所蔵で有名です。紀元前4世紀から紀元前1世紀の銅剣が展示してありました。 下の写真は、銅刀です。ウイグルナイフの原型と言われており、上の写真の銅剣よりも、造られた年代は古い です。 紀元前4世紀から紀元前3世紀のものだと言われています。 興味深いのは、蒙古刀の展示がありました。 モンゴルから移住した遊牧民が、この地方に住んでおり彼らが使用していた品物です。 チベットにも似たような形状のナイフがあります。 火打ち石に打ち付けて、火花を起こすための平らな金具がついているのが特徴です。 中央アジアでの遊牧民文化が、国境を超えて広まっている様子がよくわかります。 とても面白く、良い展示内容でした。

ウルムチの省立博物館 ③

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 ウルムチの省立博物館 ③ 紀元前2800年頃にウイグル地方で生活していた古代遊牧民の衣装です。 帽子と靴、革製のレプリカだと思います。 西暦25年から200年の間に作られたと推定されるネックレスもありました。 こちらは本物です。メノウや半貴石が材料です。 一番左のネックレスは漢字が彫られていて、ウイグル地方に後漢王朝の文化が流れ込んでいたことを物語っています。 三国志時代の馬超が軍閥として有名ですね。羌族の騎馬部隊は雄強で恐れられていました。 当時の矢もありました。

ウルムチの省立博物館 ②

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 ウルムチの省立博物館 ② ウイグル地方の古代遊牧民の衣装ですが、アクセサリーの展示もありました。 (古代遊牧民の女性イメージ像) (白玉が素材の杖取手) (金の首飾り 後漢 三国志時代) (木製の櫛と銅鏡 後漢 三国志時代) いつの時代でも、女性は身だしなみに気を配っていたようです。コンパクトミラーの原型とも言えるでしょう。

ウルムチの省立博物館 ①

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ウルムチの省立博物館 新疆ウイグル自治区の省都は烏魯木斉(ウルムチ)というところです。その省都にある地方博物館にやってきました。 からっと晴れて、とても良い天気です。湿度は低く、内陸部にやってきた感じがします。 ここは古代シルクロード時代から東西交易の中継都市だった歴史があります。展示品を見てみましょう。 (騎馬部隊兵士の銅像) 紀元前2500年頃に製作された兵士の銅像です。弓を構えて撃つ姿を表しています。 こんなに高度な鋳造技術を持っていたなんて、すごいと思います。 日本はまだ縄文時代で、竪穴式住居で石器生活をしていました。 (青銅製のナイフと菱弓の金具) 左から二番目が弩級と呼ばれるクロスボウの金具です。当時は世界最先端の飛び道具だったのでしょう。 (ウイグル地方の遊牧民の衣装) 衣装もおしゃれで、現代のファッションと遜色ありません。

哈密の民族博物館

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 哈密の民族博物館 嘉峪関を後にして酒泉を経由し、中国高速鉄道のハーモニー号に乗ってシルクロードをさらに西に進みます。 日本の川崎重工が周囲の反対を押し切って、2000年代初頭に中国に新幹線の技術を供与しました。 それをもとに、中国で作られたのがこのハーモニー号です。 ほとんど、日本の新幹線と変わりませんが、防犯カメラが各車両についています。 中国は2015年に、より高速化したCRH380Aという車両を開発しました。 中国はこれを独自の技術として、インドネシアの高速鉄道の受注に成功しています。 シルクロードのオアシス都市、哈密に到着です。 ここは哈密瓜というマスクメロンに似た果物の産地です。旬の時期は1個50円ほどで売られています。とっても美味しい果物です。 哈密の民族博物館にやってきました。 目玉は古代ウイグルの女性が身につけていた装飾品です。 (黄金の飾り物) 紀元前2世紀に、遺跡の墓から発掘されたもの (清朝の金と銀の器) (明町の将軍の兜)

嘉峪関の長城博物館

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嘉峪関の長城博物館 シルクロードを西に進み、嘉峪関にやってきました。 ここは万里の長城の西端にあたる関所です。 1372年にティムールの軍に対抗するため、明の時代に建設されました。 一部は日干しれんがで城壁が作られています。 長城博物館がありましたので、見学します。 武具に関する展示物が多いです。 青龍刀です。日本刀と比べても、かなり大ぶりです。 いちばん左にあるのは、中に火薬を入れて爆発させる「たいほう」です。 元寇の時にも、日本の騎馬武者に対して中国軍が使用しました。 三国志の蜀の武将、周倉がかぶっていた帽子に似ています。 彼は関羽の副将で、中国では神様として、関平と一緒によく3人で祭られています。 弓は小ぶりなコンポジットボウですね。

張掖のシルクロード仏教美術

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張掖のシルクロード仏教美術 甘粛省に入り、本格的なシルクロード旅行の始まりです。 大仏涅槃像と七彩の山風景が有名な張掖にやってきました。 昔は上海から風呂にも入れず、二泊三日も時間をかけて、寝台列車でここまで旅をしました。 今は新幹線があるので、まる一日もかからずに、西安からウルムチまで快適に移動できます。 本当に便利な時代になりました。駅前には、自動のレンタルサイクルまでありました。 街中には仏塔もあり、中国の影響を受けた西域の街という雰囲気です。 仏塔の近くに、涅槃像で有名な大仏寺があります。 中国有数の巨大な涅槃像です。 巨大すぎて、全身を映すことができません。 隣の建物が仏教美術館になっていました。仏像やタンカが並んでいます。 青海省の西寧と比べて、チベット文化の影響はあまり受けていません。 いちばんお気に入りの画像がこちら。 携帯式の秘仏像です。高度な金属工芸ですね。

西寧のチベット仏教美術

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西寧のチベット仏教美術 蘭州を後にして、青海省の省都、西寧にやってきました。 青海省は古くからモンゴル族やチベット族が多く移住してできた町です。 そのため街の雰囲気もコテコテの中華色が薄れ、チベット遊牧民文化が程よくミックスされた面白い光景を見ることができました。 (タール寺の門前町) タール寺という六大チベット仏教寺院の一つがあり、チベット人巡礼者を街中で見かけることもありました。 (タール寺) この町の博物館は、チベット仏教の展示が充実してそうなので、行ってきました。 優れた展示物を紹介します。 (清代の鍍金仏 2体) (チベット仏教のヤマーンタカ像) (タンカと鉱物由来の染料)