ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀容器②
ミャンマー 銀細工箱の由来を探して マハムニ寺院の銀容器②
パンと呼ばれる銀細工の入れ物、桶の器の続きです。
これは、寺院で仏様に捧げるお供え物や、マンダレー朝の王族が宗教行事の際に使用したのでしょう。
タイやミャンマーでは托鉢の僧侶がこれに似た形の、金属器を両手に持って托鉢に出ている場面を、よく見かけます。
現代の僧侶が使用している托鉢器は、鉄かステンレス製です。
豪華な彫刻は一切なく、一枚の金属をひたすら叩いて、器の形に打ち延ばした簡素な作りとなっています。
44番の青いシールが貼られた銀の入れ物は、その側面にビルマの干支が描かれています。
中央にある四角い窓、右から2番目に見えるニワトリは、今にも窓から飛び出しそうなほど見事で、精緻な打ち出し細工が施されています。
裏面のキマイラの彫刻や、側面の干支デザインが宝物庫の銀の桶のデザインと酷似しています。
これで、私が20年以上前に入手した銀細工箱の由来が、ほぼ解明できました。
三毛所有の銀細工箱は、マンダレーの地で宝物庫の銀細工と、同じ職人工房により制作されたものと推察できます。
1998年のアジア通貨危機では、ミャンマーやラオスなど、タイ経済に依存していた周辺諸国の被害は、より深刻だったと記憶しています。
ミャンマーの農村では、生活苦のために娘を人身業者に売り渡す事例も続出しました。
三毛所有の銀細工箱はその頃にミャンマーの寺院関係者か、富裕層が家族の生活のために骨董品を売却。
それが骨董ディーラーを経て、より高額な値段の付く隣国タイの骨董業者に流出。
その直後の時期に、タイを旅行していた外国人の三毛に所有者が移ったのだと思います。
骨董品が安住の地を求めて、世界中で自分を守ってくれそうな持ち主を探している様にも見えます。
(次回に続く)
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