タイ バンコク ナムトク線の日帰り旅行(後編)
カンチャナブリで1時間ほど停車。
それから、三毛が乗っている列車は、鉄橋をゆっくりと渡りながら出発した。
車掌に動画を撮っていいか頼むと、運転士の横で、撮ってもいいという。
列車最前列の運転席横の通路に座って、真前の窓から右側の部屋で列車を動かしている運転手と同じ目線で動画を撮った。
観光列車ということもあるが、万時ルールに厳しい日本では、考えられないサービスの良さだ。
ナムトク駅に近い旧日本軍が外国人捕虜を使役して作った、切り通しの崖スレスレの線路を、ゆっくりと列車は進む。
断崖絶壁の崖上に造られた、細い一本橋の桟橋を渡る箇所もあった。
ここで脱線したら、間違いなく乗客全員、一貫の終わりである。
ハラハラしながら動画を撮って、定刻の12時30分に、終点駅に到着した。
ナムトク駅は、熱帯雨林の密林の入り口にある駅で、来る途中に一雨降ったおかげで、外の湿度がすごい。
前にも記事で述べたことがあったが、私の祖父はインパール作戦の生き残りである。
この場所にいた可能性も、ゼロではないだろうと思った。
戦後80年以上が経って、その孫である三毛が同じ場所にいるのは、不思議な気持ちがした。
私の祖父は、最重要の通信兵だったので、仲間の日本兵に真っ先に守られたことで、なんとか生きて帰ってこられたのだ。
通信手段を失うと、大部隊が一瞬にして全滅する危険がある。
だから皆から大事にされたと祖父は言っていた。
私の祖父は幸運だった。
天寿を全うして、84歳で亡くなった。
そのお礼に、旧日本軍の史跡をおとづれて、ここで測らずも亡くなった日本兵に、お礼と祈りをしようと私は思ったのだ。
タイ人家族で賑わうナムトクの滝を少し見てから、一番の目的である旧日本軍が通った、密林のルートを歩いてみることにした。
WRONG WAYと文字通りの看板が、かかった道を歩いて、事前にグーグルマップで見つけていた獣道から密林に入る。
目指すは帝国陸軍が昔作った土台の上にある倉庫群と、レンジャー部隊の基地である。
倉庫群では、献花をして、戦争でなくなった日本兵を追悼した。
幸いタイで購入した通信会社TRUEの携帯電波は、持参したiPhoneだと、しっかりと電波が繋がった。
その林道はぬかるんでいて、靴は泥だらけになったが、これで方向に迷うことはないだろう。
1時間ほど森の中を歩いて、無事に倉庫群や、レンジャー部隊の基地に辿り着くことができた。
途中、マンゴー農園やリゾートホテルを運営する、英語が達者なタイ人家族が近くに住んでいて、道を教えてくれた。
森は静まりかえっていて、小鳥の鳴き声もわずか。
基地のレンジャー隊員は、森に偵察へ出かけたのか、飼い犬の鳴き声しかしない。
近くの写真を撮って、ナムトク駅近くの滝壺まで戻った。
また、雨が降り出した中、浅い滝壺に入って、全身の泥と汗を冷たい水で流した。
最高に気持ちが良い。
日本兵が、命からがらタイ側の基地にたどり着いて風呂がないので、大雨のスコールで体を洗ったという記事を見たことがある。
雨は冷たくて気持ちよく、無事に生きて帰れた感慨はひとしおだったとあったが、これと同じ感じなのだろうか。
列車は15時頃に、ナムトク駅を出発。
疲れて少し眠てから起きると、列車は連合国軍の墓地があるバンコク近郊の駅に停まった。
ここでは、かつての戦争で日本兵と戦って亡くなった戦勝国兵士の墓が、一人ごとにある。
一方の戦争に負けて亡くなった日本兵の遺骨は、誰にも見取られることはなく、今もナムトクの森の中だ。
勝てば官軍、負ければ地獄。
戦争に勝っても負けても、亡くなった人は2度と蘇らない。
戦争は無益だ。死んだ人は、もう報われない。
昨日は2026年8月15日、終戦の日だった。
観光客が誰も行かない、この森の中の写真は、何を物語るのだろうか?