投稿

ウルムチの省立博物館 ①

イメージ
ウルムチの省立博物館 新疆ウイグル自治区の省都は烏魯木斉(ウルムチ)というところです。その省都にある地方博物館にやってきました。 からっと晴れて、とても良い天気です。湿度は低く、内陸部にやってきた感じがします。 ここは古代シルクロード時代から東西交易の中継都市だった歴史があります。展示品を見てみましょう。 (騎馬部隊兵士の銅像) 紀元前2500年頃に製作された兵士の銅像です。弓を構えて撃つ姿を表しています。 こんなに高度な鋳造技術を持っていたなんて、すごいと思います。 日本はまだ縄文時代で、竪穴式住居で石器生活をしていました。 (青銅製のナイフと菱弓の金具) 左から二番目が弩級と呼ばれるクロスボウの金具です。当時は世界最先端の飛び道具だったのでしょう。 (ウイグル地方の遊牧民の衣装) 衣装もおしゃれで、現代のファッションと遜色ありません。

ブログのタイトルを変更しました

イメージ
ブログのタイトルを変更しました  骨董は年々価値が上がりやすい実物資産としての性格を持ちます。 それに投資することは、通貨価値の減少に伴うインフレに対抗するための手段となります。 三毛イキルは証券アナリストだった経歴を生かして、株式投資を中心とした資産運用のブログを別に運用していました。 この度、骨董収集を株式投資と同様の資産運用のひとつと捉え、このブログに内容を一本化することにしました。 それに伴い、本ブログのタイトルを変更します。 (旧)骨董、美術品、ブランド品集めの世界旅行 (新)三毛イキル「株式投資と骨董収集の旅」 株式投資も骨董収集も、皆様の人生を豊かにするための手段となります。 読者の皆様、引き続きよろしくお願いします。 にゃん。

烏魯木斉の玉石市場

イメージ
烏魯木斉の玉石市場 ウイグル自治区の省都、ウルムチにやってきました。 20年前と比べると、街はさらに中国化しており、中華建築や高層ビルが目につきます。 街中は再開発中で、ウイグル建築物の解体作業が至る所で進行中でした。 でも街を歩いている人々は、当時とさほど変わりません。中国人よりもウイグル人の方が多く目にします。 ウイグル人はテュルク系民族で、黄色人種の漢民族とは全く異なる風貌をしています。 トルコ人に似た彫りの深い白人で、ヨーロッパ風の美男美女が多いです。 でも彼らの話す公用語は中国語なので、奇妙な感覚を覚えました。 こういう光景を見ると、いよいよ西域の国にやってきたなという実感が湧いてきます。 市内に玉石のバザールがあるというので、行ってきました。 露店ではなく、古い商業ビルの中にありました。このビルが全て、玉石の商業施設というのはさすが中国でスケールが違います。 (通路に置かれた和田玉の巨大な原石) (建物内の玉石バザール) (バザールの風景) 絨毯を担いだ男性に話かけたところ、タジキスタンから玉と絨毯を売りにきたと言っていました。さすがはシルクロードです。 (展示されている玉の美術品)

哈密の民族博物館

イメージ
 哈密の民族博物館 嘉峪関を後にして酒泉を経由し、中国高速鉄道のハーモニー号に乗ってシルクロードをさらに西に進みます。 日本の川崎重工が周囲の反対を押し切って、2000年代初頭に中国に新幹線の技術を供与しました。 それをもとに、中国で作られたのがこのハーモニー号です。 ほとんど、日本の新幹線と変わりませんが、防犯カメラが各車両についています。 中国は2015年に、より高速化したCRH380Aという車両を開発しました。 中国はこれを独自の技術として、インドネシアの高速鉄道の受注に成功しています。 シルクロードのオアシス都市、哈密に到着です。 ここは哈密瓜というマスクメロンに似た果物の産地です。旬の時期は1個50円ほどで売られています。とっても美味しい果物です。 哈密の民族博物館にやってきました。 目玉は古代ウイグルの女性が身につけていた装飾品です。 (黄金の飾り物) 紀元前2世紀に、遺跡の墓から発掘されたもの (清朝の金と銀の器) (明町の将軍の兜)

嘉峪関の長城博物館

イメージ
嘉峪関の長城博物館 シルクロードを西に進み、嘉峪関にやってきました。 ここは万里の長城の西端にあたる関所です。 1372年にティムールの軍に対抗するため、明の時代に建設されました。 一部は日干しれんがで城壁が作られています。 長城博物館がありましたので、見学します。 武具に関する展示物が多いです。 青龍刀です。日本刀と比べても、かなり大ぶりです。 いちばん左にあるのは、中に火薬を入れて爆発させる「たいほう」です。 元寇の時にも、日本の騎馬武者に対して中国軍が使用しました。 三国志の蜀の武将、周倉がかぶっていた帽子に似ています。 彼は関羽の副将で、中国では神様として、関平と一緒によく3人で祭られています。 弓は小ぶりなコンポジットボウですね。

張掖のシルクロード仏教美術

イメージ
張掖のシルクロード仏教美術 甘粛省に入り、本格的なシルクロード旅行の始まりです。 大仏涅槃像と七彩の山風景が有名な張掖にやってきました。 昔は上海から風呂にも入れず、二泊三日も時間をかけて、寝台列車でここまで旅をしました。 今は新幹線があるので、まる一日もかからずに、西安からウルムチまで快適に移動できます。 本当に便利な時代になりました。駅前には、自動のレンタルサイクルまでありました。 街中には仏塔もあり、中国の影響を受けた西域の街という雰囲気です。 仏塔の近くに、涅槃像で有名な大仏寺があります。 中国有数の巨大な涅槃像です。 巨大すぎて、全身を映すことができません。 隣の建物が仏教美術館になっていました。仏像やタンカが並んでいます。 青海省の西寧と比べて、チベット文化の影響はあまり受けていません。 いちばんお気に入りの画像がこちら。 携帯式の秘仏像です。高度な金属工芸ですね。

西寧のチベット仏教美術

イメージ
西寧のチベット仏教美術 蘭州を後にして、青海省の省都、西寧にやってきました。 青海省は古くからモンゴル族やチベット族が多く移住してできた町です。 そのため街の雰囲気もコテコテの中華色が薄れ、チベット遊牧民文化が程よくミックスされた面白い光景を見ることができました。 (タール寺の門前町) タール寺という六大チベット仏教寺院の一つがあり、チベット人巡礼者を街中で見かけることもありました。 (タール寺) この町の博物館は、チベット仏教の展示が充実してそうなので、行ってきました。 優れた展示物を紹介します。 (清代の鍍金仏 2体) (チベット仏教のヤマーンタカ像) (タンカと鉱物由来の染料)

蘭州の青銅器文物

イメージ
蘭州の青銅器文物 広元市を北上し、蘭州に着きました。この町は3度目の訪問です。 私が最初にこの町を訪れたのは30年以上前でした。 夜行列車で蘭州に到着した時、空気も悪く、物騒な街だという印象を受けました。 内陸部の工場地帯で、たくさんの労働者が農村から出稼ぎに来ており、治安が悪化していたのです。 改札口を出ると、職につけない若者が、 中国人観光客に金をせびっていました。 私にも声がかかりましたが、彼らと同じくらい貧しい身なりだったので、すぐ解放されました。 当時と比べると、高層建築が立ち並び、雰囲気が一変しています。 唯一、変わっていないのは中山橋の風景だけでした。 人々は豊かになり、カーキ色の人民服を脱ぎ捨て、おしゃれな洋服を着ています。 蘭州は観光名所に乏しいのですが、ラーメンと博物館は有名です。早速、見てみましょう。 (明代の金銅仏) (清代の法螺貝) (清代のチベット仏像) (春秋時代の青銅器) 虎が羊を捕まえた瞬間を描いています。 (青銅製の天馬) いちばん 有名な展示物。 元々は武威市雷台の漢墓にあったもの。 騎馬隊の先頭に、この馬が配置されていました。