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インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅①

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インド 高額紙幣即日廃止で大行列 生活骨董を探す旅① 早速、パスポートを持ってインドビザの申請に行きました。 2016年、東京都内のパスポートセンターはインド大使館とは別の場所にあり、住宅街の一角で非常に分かりにくい場所にありました。 当初、私の持参した写真のサイズが、規定に合わなかったのですが、パスポートセンターには自動撮影機もあり、そこでサイズ通りの写真を入手することが出来ました。 (注意)このインドビザ申請センターは、2017年3月21日で廃止されました。新型コロナの影響で海外旅行に必要なビザ状況は流動的な為、大使館からの最新情報をご確認ください。 2週間後、再度パスポートセンターを訪問して、無事にインドビザを入手できました。5回目のインド渡航では、エアアジアのバンコク発コルカタ着の路線を利用しました。 深夜便で時間帯が不便ということもあり、料金は片道6000円程と激安です。 2016年12月の冬、無事にコルカタに到着。空港で一泊して早朝、街に出ました。 市バスに乗って、空港最寄駅の地下鉄ダムダム駅で降り、バックパッカー向け安宿街が多いサダルストリートに向かいます。 地下鉄の改札口を出て、サダルストリートに着きました。まだ朝早いので、通りは閑散としています。 若い頃は、伝説的安宿のホテルパラゴンなどに泊まっていましたが、今はエアコン付き個室の安宿に泊まっています。それでも一泊2000円ほどなので、格安です。 今回の旅の目的は2つあります。 ①手持ちの高額紙幣を12月末迄の期限内に全て新紙幣と交換すること。 ②インド人の生活に根ざした生活骨董、特にベースメタルと呼ばれる真鍮や銅の素材を使った骨董品を入手すること。 日本人である三毛は、当然ながらインドの銀行口座は持っていません。 手持ちの高額紙幣は既に紙切れ同然です。モディ首相の演説から、4時間後に高額紙幣は使用禁止となったため、街中の商店ではとうぜん誰も受け取ってくれません。 なけなしの小銭が尽きる前に、高額紙幣を新紙幣に変えることができなければ、かなりヤバイ事になります。 街中のATMはほとんど使用不可で、クレジットカードのキャシング利用もできません。肝心の新紙幣が街中に出回っていないのです。 銀行口座を持っていない貧困層のインド人や、三毛のような外国人旅行客はどうしたらいいのでしょうか? (次回へ続く)

インド 高額紙幣即日廃止で驚愕 渡航のきっかけ

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インド 高額紙幣即日廃止で驚愕 渡航のきっかけ <インドという国の印象> 三毛イキルが、外国で最も好きな国の一つです。 紅茶やカレーが大好き、美人が多い、民芸品や観光名所が豊富、英語が通じるのでコミュニケーションが容易、物価がタイよりも安いなど、全体的な国の魅力度が高いのです。 また日本で一度観光ビザを取れば、最大6ヶ月間もインド国内を自由に旅行できるのが最高です。 マルチプルビザをとれば、陸路で隣国ネパールやバングラデシュにも簡単に出入国できます。 東南アジアは、ノービザで旅行できる国が多いのですが、中国やベトナムでも最大15日間と滞在できる期間がとても短いのです。 現地で延長ビザを取っても、中国では最長1ヶ月までと、あっという間です。 また最近、中国ではウイグルやチベット地域など、外国人観光客とわかると警察や公安から露骨にパスポートチェックを強要され、警察署に強制連行させられる事例が多くなっています。 何時間も警察署で身元照会と、それまでに撮った写真のチェックを受け、反中のスパイでないか尋問されるのです。私もこれには、何度も嫌な思いをさせられました。 正直いって、悪徳警官の賄賂要求か嫌がらせ、職務上の点数稼ぎとしか言いようがありません。 少しでも反抗すれば即逮捕・拘留ですので、私の様な弱い立場の旅行客は笑って耐えるしかありません。 一方のインドでは警察官によるパスポートチェックなど、街中で私が受けたことは今まで一度もありません。 私が初めてインド旅行に行く前は、インド人と日本人は顔つきが全く違うので、乞食やたかりなど多くあり、とても旅行しづらい場所ではないかと思っていました。 でも、その予想は見事に外れました。 インド国内では最北部のラダックや最東部のマニプール、ナガランドでは日本人によく似たモンゴロイド系インド人が多いのです。 彼らの多くがデリーやコルカタといった大都市に移住しています。街中でも普通に会うため、日本人を見てもあまり違和感がない様です。 (インド第2の都市 コルカタの街並み) そう言う訳で、日本人の私が街中を歩いても手ぶらで地味な格好をして、観光客らしき行動を取らなければ、目立ちません。 地元のインド人から外国人に間違えられることも少ないのです。 東部第2の都市コルカタでは、私は逆に道を尋ねられたり、マニプールのどこに住んでいるのか?と現地のイン...

ミャンマー 個性的な野良猫

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ミャンマー 個性的な野良猫 ミャンマーの漆器編が終了しました。野良猫シリーズの第2弾です。 長い文章はありません。猫好きの皆さん、本能でお楽しみください。ミャンマーの猫です。 ①カメラを睨みつける猫 「トイレするところ、盗撮するなよ。」 ②露天の敷物の上で眠る猫 触っても全く起きない、マイペースな猫 ③仏教寺院のタイルで涼む妊娠中の猫 「あんた、誰? 私にちょっかい出さないでよ。」 ④仏教寺院の祭壇の前で、カメラに興味津々の茶トラ 「僕、かっこいいでしょ。上手く撮ってよね。」

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑩

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 ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑩ この桶の持ち主は、彼女の祖母でした。いつ頃からあるものか、孫でツアーガイドをしている女の子に通訳してもらい、祖母に質問しました。 すると、祖母は糸繰車の手を休めることなく、30年〜40年ほど前に、親戚の漆器職人から貰ったものだと言いました。 この桶は、骨董品の定義である100年以上前のものではありませんでしたが、紛れもなく由来のわかる一点物です。 実用性を兼ね備えたヴィンテージ品としての価値が十分にあります。日本人である私の感性に合った逸品であると判断しました。 しばらく織物や農作物に関する雑談をして、家族と仲良くなると、祖母が私のことを聞いてきました。 日本から来たこと、骨董収集が趣味なこと、漆器作りが盛んなバガンで一日中良い骨董品探したが見つけることができなかったこと。 そしていくつかの偶然が重なって「たった今」、その逸品に出会えたこと、を祖母に伝えました。 彼女は黙っていましたが、微笑んでいました。普段使いの漆器を日本人から褒めてもらったことがとても嬉しいようです。 そこまで欲しいのならと、私にこの漆器を売ってくれました。 彼女との出会いに感謝して、この漆器を譲ってもらえたお礼に、十分な対価を米ドルで支払いました。 この漆器は、私の実家の台所にあります。家庭菜園のキュウリやトマトなど農作業の収穫物を入れる器として、とても重宝しています。 思いがけない偶然と地元人との交流が骨董というモノに魂を吹き込む、それが思い出となって骨董を更にいとおしむ。名のある伝来品でなくても、思い出の詰まった逸品をいつも手元に置いて、当時のことを思い出しながら大切に使う。骨董探しの旅の醍醐味だと思います。 (終)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑨

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑨ 彼女の家に招待され、家の中へと入りました。 周りの農家と同じように通気性に富んだ、平屋建ての木造家屋です。 作りは母屋と台所の2部屋です。彼女は、レンガ作りの竃(かまど)にある薪に火をつけて、鉄瓶でお茶を出すためのお湯を沸かしています。 母屋では彼女の母親と祖母が、収穫した綿花から糸を作る糸繰りの作業をしています。作った糸は、自然の染料で染めるのだそうです。 使用されている糸繰車は、日本の江戸時代から使われてきた物と同じ形をしています。左手で糸車を回しながら、右手に持った綿花から糸を一本の線にして、木枠に巻き取る構造です。 戦前の日本で見られた懐かしい光景だなと思いながら見ていたところ、部屋の奥に年季の入った漆器が置かれていることに気づきました。 ちょうど私の目に止まった瞬間の写真です。思わずシャッターを押しました。 簡素で何の装飾もない、バケツを一回り小さくしたような日常使いの漆器です。 長年使い込まれて、表面の赤漆がすれています。地肌の黒漆が見えており、和歌山県の根来塗りに似た、何とも言えない風格が漂っています。 大きさは両手で抱えられるぐらいの桶でした。中には細かな木屑を干したものが、入っています。 この木屑を熱湯で煎じて、着色をするそうです。 突然脳みそからアドレナリンが出て、私の物欲を刺激しました。これ欲しい!と思いました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑧

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑧ 骨董品の漆器は、どこに眠っているのでしょうか。 街中を隈なく探しましたが、バガンでは骨董品の漆器を扱う店を見つけることはできませんでした。 翌日にマンダレーに戻ろうか、私は迷いながら宿に戻りました。 結局あと一日バガンに滞在することにしました。宿の黒猫が可愛くて、私に懐いてくれたのです。猫がいる宿は、居心地が良いのです。 今考えると、この黒猫が私に骨董に出会うチャンスを与えてくれました。骨董品の漆器は私が思いもしないところにあったのです。 バガンの郊外の屋台で、朝食にモヒンガーという麺料理を食べていると、「日本人ですか?」と片言の話しかけてくる若い女性に会いました。 彼女は「地元の高校生で、欧米ツアーガイドのアルバイトを時々しています。お願い事があるんですけど。」と私に言いました。流暢な英語が話せるようです。 「日本人ツアー観光客からチップに日本の硬貨がもらえることがあります。それが1000円ほどの纏まった額になったので、ミャンマーのお金(チャット)に変えてもらえないでしょうか?」 大した額ではないので、快く良いレートで両替してあげました。すると彼女はお礼に自分の村を案内してくれるとのこと。 私はバックパッカーで時間に融通がきくし、村も近くなので行ってみることにしました。村は屋台から3キロほど離れた郊外にありました。 赤い木の実を庭に干しています。壁が藤で編まれた平屋建ての民家です。 別の民家です。風通しの良い、陽気で開放的な平屋建ての民家です。彼女のおじさんが夫婦で住んでいました。 どの家族も、民家の隣に牛を2頭飼っています。田んぼや畑を耕す際の動力源ともなり、農作業に欠かせないとのことでした。 牛の首にかかっている黄銅の鐘が、カランカランと心地よい音でなっています。 本当に気持ちの良い農村です。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑦

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑦ 下塗りの後に、手彫りで細かな彫刻を施し、仕上げの塗料を塗るのがバガン漆器の特徴です。 指導教官が目の前で、彫刻の実演をしてくれました。長年の経験で、頭に思い描いた絵柄を思い通りに彫刻します。迷いなく動き、下絵は一切ありません。 ミャンマー人指導教官の年季の入った両手の指が、物を作り出す手が凄みを感じます。改めて写真を見ると、ものづくりの職人は素晴らしいと感じました。 日本の香川県の伝統工芸品である香川漆器が、同様の蒟醤(きんま)技法を用いています。 この工房では小物の漆器では、20ドル位からありました。ミャンマーの伝統を生かした自然素材や、制作の手間暇を考えると、この値段は安いと思います。 街中の土産店で売られている10ドル以下で買える、妙にテカテカ光る安っぽい塗料のミャンマー漆器とは全く質感が違いました。 バガン漆器の伝統が、国立学校の設立で後の世代に継承されている事実を目の当たりにできました。 残念ながら、この工房では骨董品の漆器販売はありませんでした。 感謝の気持ちも込めて、蒟醤漆器を何点か購入して、工房を後にしました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑥

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑥ 指導教官のミャンマー人漆芸家が開いている工房に行きました。 場所はバガン市街の街道沿いにありました。観光客向けに商品を展示してある平屋建ての商店と、教官家族が暮らす自宅が2軒並んで建っています。 外国人観光客のバスが停車できるように、駐車場も備えた大きな敷地でした。 漆芸学校の先生からの電話で、私の訪問連絡を事前に快諾してくれた指導教官本人が応対してくれました。 50歳ぐらいの老眼メガネをかけた細身の男性です。知的な顔つきで、ミャンマー伝統の男性用布スカートであるロンジーを見事に履きこなしていました。 日本の着物もそうですが、民族固有の衣装を普段使いしている人は、本当にかっこいいと思います。 店舗の一角に漆器製作のブースが設けられていました。 作りかけの漆器が手順ごとに並べられて、外国人観光客向けに説明しやすいように展示されています。 写真左上に砂岩とそれを砕いた粉が灰色のプラスチック容器に入っています。 ミャンマーの伝統的な漆器には、下地に粘土質の土と木屑、漆を混ぜてものを最初に下地に塗っていきます。 写真左下の工程の始まりとなる、下地が竹でできた器にご注目ください。一番底の部分に穴が空いています。 塗料を塗った後、底に溜まった余分な塗料を、穴から自然に排出できるように、指一本分の空洞が残っています。 この工房の器は10回の塗り工程を経て作られています。下の段の左から右に行くごとに、塗りの回数が増えていきます。 中段の右から左にかけて凹凸がなくなって、表面が研ぎ澄まされているのがわかります。 中段の左から2つは最後の仕上げの部分で、上質な黒漆を塗ってあります。そして完成です。 どのくらいの期間が必要なのか指導教官に尋ねたところ、器の大きさと素材によって微妙に異なる。 この竹素材の器だと塗りの都度、乾燥させる必要があるので1ヶ月ほどかかると言われました。 本当に根気のいる作業です。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑤

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン⑤ 教室の奥にある棚に、竹で編んだ下地の完成品が並べられていました。 花瓶状の下地が3つ、皿状の下地が50枚以上重ねられています。 接着した部分を乾燥させ、硬く丈夫にさせることで下地を強化しているようです。 それから塗りの作業となります。 上の作品は仕上げ前に何度か漆を塗ったものを、乾燥させている制作途中の作品です。土台となる底と、胴体の部分は黒を基調とした漆、器部分は朱色の漆を塗っています。 漆を何度も塗って乾燥させるという作業を10回以上繰り返します。本当に手間暇のかかる根気のいる作業です。 漆芸学校の教員達を更に指導する熟練工の男性指導教官がいるそうです。自らの工房を持っているそうです。 その指導教官が開いている工房を紹介してくれると言うので、昼食後に訪問することにしました。 (次回へ続く)

ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン④

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ミャンマー 骨董品の漆器を探して バガン④ 下地作りの技術を教える教室にやってきました。 壁は淡いグリーンの色彩で、コンクリート張りの教室になっています。 日本の教室によくあるタイプの机や椅子は、1つもありません。 板敷きのテーブルの上に、バナナリーフのむしろが敷いてあります。その上に、竹ひごや制作途中の下地が置いてありました。 ミャンマー漆器の主な下地の材料は、竹だと教わりました。馬の尻尾を使うこともあるそうです。 日本の漆器は、下地に木材を使うのが一般的だったので、素材の違いに驚きました。 日本は分業制のところが多く、木地師という漆器の下地を専門に作る職人がいます。ミャンマーでは全て一人で作る様です。 教室を見ると、日本の木地師がよく使う木を削る道具や、備え付けの重機が全くありません。一体どうやって下地を作るのでしょうか。 上の写真をご覧ください。 何と小刀で竹ひごを手作業で作り、それを一つ一つ上に重ねていくことで器の形を作っていくのです。手間暇のかかる繊細な作業です。 制作方法としては、以下の手順と先生から説明を受けました。 ①まず竹を刃物で削り、竹ひごで土台となる下地を作ります。 ②下地が完成したら、漆を塗り、乾燥させる、磨きをかけるという工程を10回以上繰り返します。 ③最後に細かな装飾を手作業で彫り、場合により金箔や他の色を刷り込んで、磨いて仕上げます 竹ひごは良くしなるので、器の形状に制限はないと先生が言っていたのが印象的でした。 日本の漆器は重機を使い、ろくろや鉋を用いて作ります。もし間違って余分に木材を削ってしまうと、サイズを小さくするか、全て破棄するしかありません。 一方、ミャンマーの竹ひごを下地にする漆器では、もし下地作りで途中に失敗しても、その部分を外して補強すればいいのです。 マイペースに作ることができ、形の自由度も高いのです。 また、小刀一本で作れるので場所を選ばず、高価な備え付けの重機も必要ありません。 現地に多い竹をうまく活用した、地元の習慣にマッチした伝統工芸品だと私は思いました。 (次回へ続く)